新型コロナの「緊急事態」、首相への白紙委任ではない

南野森・九大教授が語る憲法

 憲法記念日の3日、各地で予定されていた集会の多くが新型コロナウイルスの感染拡大で見送られた。生活が大きく変わり、先が見えない中、「こんな時こそ憲法について関心を持ってほしい」と、憲法学者の南野森(みなみの・しげる)九州大学教授。オンラインで話を聞いた。

 例年ならこの時期、メディアは憲法の特集を組んでいるが、今年はほとんどコロナ一色になっている。私も3日に予定していた講演が中止になった。大学での研究や教育だけでなく、憲法を市民に伝える仕事までもがコロナに邪魔されている、という感じだ。でも、こんな時にこそ憲法に関心を持ち、憲法について考えてほしい。

 例えば、多くの大学と同様に、九州大学も感染拡大防止のため、授業をオンラインに切り替えた。家計の急変やアルバイトの休止で経済的に苦しくなった学生には、大学独自に授業料を減免したり、学生支援金を給付したりすることも決めた。

国に「助けて」の声、遠慮なくあげよう

 そうした取り組みの根本には憲法26条の「教育を受ける権利」がある。もともとは「子ども」の権利として考えられてきたが、学生たちは憲法で権利を保障されている、という言い方もできる。

 25条が掲げる「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」にも注目してほしい。いままでは生活困窮者の「生存権」として捉えられがちで、大半の人は切実に意識することなく暮らしてきたのではないか。ところが今回のコロナ禍で、アルバイトを失った学生やフリーター、休業や自粛を要請された飲食業者や自営業者ら多くの人にとって人ごとでなくなった。

 そういう人たちに心配させず、生活を支えるのが、25条が掲げる「国の生存権保障義務」だ。私たちには「生きる権利」がある。国に「助けてくれ」「困っているんだ」と声をあげることを遠慮する必要はない。

新型コロナ関連の特措法に基づく緊急事態宣言と、改憲論議の中で語られる緊急事態条項。記事後半では、二つの「緊急事態」の違いについて、南野教授が論じます。

 懸念すべきなのは、今回の緊急事態宣言の長期化で人々が「緊急事態」という言葉に慣れてしまうのではないかということだ。

 改憲論議の中で語られる「緊急…


Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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