日航機事故から34年、赤坂社長「飲酒問題は痛恨の不祥事」(Aviation Wire)

 乗客乗員520人が亡くなった日本航空123便墜落事故から、8月12日で34年が経った。12日は早朝から、墜落現場となった群馬県多野郡上野村の御巣鷹山を、多くの遺族や関係者らが訪れた。

【御巣鷹山を慰霊登山するJALの赤坂社長】

 JALによると12日午後2時現在で、昨年よりも1家族少なく8人多い78家族274人の遺族らが御巣鷹山を訪れた。これまでの同時刻の過去最多は事故後30年の2015年で、100家族387人だった。

 JALの赤坂祐二社長(57)は午後1時18分すぎ、山頂付近にある「昇魂之碑」を訪れ、御巣鷹山の2代目管理人、黒沢完一さんにあいさつして献花し、線香をたむけた。

 赤坂社長は、昨年相次いだパイロットや客室乗務員の飲酒問題に言及し、「痛恨の不祥事だった。520人の方が『事故を忘れたのか』とおっしゃっているのでは、と思いながら登った。遺族の方にも飲酒問題について報告させていただいたが、厳しい言葉をいただいた。対策はやれるものはやったので、あとは1人ひとりの意識を変えていかなければならない」と、社員の意識改革の必要性に触れた。

 1962年生まれの赤坂社長は、事故後の1987年4月に技術系総合職(現在の業務企画職技術系)としてJALに入社。入社後は整備士として現場で機体整備に従事し、2009年4月に安全推進本部部長兼ご被災者相談部長、2014年4月に執行役員整備本部長とグループの整備会社JALエンジニアリング(JALEC)社長に就任。2016年4月に常務執行役員に昇格し、昨年4月から事故後入社では初の社長を務めている。

 今年御巣鷹山に登った遺族の中には、90歳の男性とその親族や知人による幅広い年齢のグループなど、小さい子供たちと訪れ、次の世代に継承しようとする人の姿が目立った。

 赤坂社長は、事故の社内での継承について「事故後に入社した社員が95%を超えており、現地・現物・現任(OJT)が重要で、事故を直接感じられるものを残していくことが大事。現地・現物が残っていれば、次の世代が事故の悲惨さや教訓を生かせるはず」と語った。JALの新入社員は御巣鷹山に登り、事故機の残骸などの資料を展示した社内の安全啓発センターを見学している。

 午後6時からは、上野村にある慰霊の園で追悼慰霊式が開かれる。JALからは赤坂社長や藤田直志副社長らが参列する。

 1985年8月12日午後6時56分に墜落した羽田発伊丹行きJL123便(ボーイング747SR-100型機、登録記号JA8119)には、乗客509人と乗員15人の524人が乗っていた。

Tadayuki YOSHIKAWA

【関連記事】


Source : 国内 – Yahoo!ニュース

Japonologie:
Leave a Comment