日韓W杯にもらった勇気と感動に生かされた それぞれの20年

 日韓共催の2002年サッカーワールドカップ(W杯)から20年。アジア初、そして初の2カ国共同開催。歴史的な大会は、人々に何を残したのか。

 朴賢子(パクヒョンチャ)さん(56)が東京・大久保に韓国料理店「テーハンミング」を開いたのは02年10月。背中を押したのは直前のW杯だった。

 1991年、夫の留学のため来日。自身も日本語を学びながら韓国食品の販売などのビジネスを始めたが、男児2人を出産後は仕事から遠ざかった。いつか好きな料理を仕事にしたいと夢見つつも踏み出せずにいた頃、W杯が始まった。

 新大久保の職安通りを連日、韓国の赤、日本の青のユニホームを着た両国サポーターが埋めた。老若男女が入り乱れ、楽しそうに応援していた。韓国代表は過去最高の4強まで勝ち上がった。そんな光景を見て、「できないことなんて何もないな」と店を始めることを決意。倉庫だった建物を借りて改装した。

 夫が留学生だった頃、お金がなくて、「焼き肉をおなかいっぱい食べたいね」といつも2人で話していた。最初は焼き肉店として始め、客の要望でチヂミやチャプチェ、のり巻きなどの家庭料理が次々とメニューに加わった。

 開店した頃は小学生と幼稚園児だった息子たちが手を離れると、宮廷料理や地方の郷土料理を学ぶため韓国と行き来するようになった。店で勉強会と試食を組み合わせたイベントをたびたび開催。大学や自治体のカルチャーセンターでも料理を教えるようになった。

20年前の日韓W杯、その時何を感じていましたか? 大会期間中にアフガニスタンに向かった大学生、大会期間中にロシアチームを受け入れ、日本戦では引き分けを願っていた女性の20年も紹介します。

 店名の由来はサッカーの応援…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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