太平洋戦争中に旧日本軍が北海道東沿岸に造った小型防御陣地「トーチカ」。日本建築学会北海道支部による2年半に及ぶ調査が今月で一段落し、来年3月をめどに報告書がまとめられる。長年の風雪に耐えて残った歴史遺産への地域社会の理解が、これを機会に深まることが期待される。
調査の中心となったのは帯広市の建築家、小野寺一彦さん(64)。日本建築学会北海道支部歴史意匠専門委員会に所属する。小野寺さんは2001年から道東でトーチカを調査してきたが、開発されたり自然に崩壊したりして姿を消すものも出てきた。このため、建築学会道支部の事業として19年7月から確認調査を集中的に手がけてきた。
調査の結果、現存が確認されたのは、道東では網走市5、根室市16、釧路地方12、十勝地方43の計76基。さらに道央の胆振地方16を加え、合計で92基だった。
これらのトーチカは、1943年7月以降に本格的に整備された。北方のキスカ島から日本軍が撤退し、米軍がアリューシャン、千島両列島方面から北海道へ進攻するのを防ぐ目的があった。建造を担ったのが、44年3月に司令部を旭川から帯広に移した陸軍第7師団指揮下の警備隊だった。
道東のトーチカは建造過程の多くが文書で残され、歴史的価値が高い。明治の元勲・大山巌と明治期で初の女子留学生・山川捨松の子で、考古学者でもあった大山柏少佐は、根室市周辺が拠点の第33警備大隊長として、「応召日誌」や回想録に建造時の苦労などを詳細に記録した。
小野寺さんが最近調査したト…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル