明智光秀の妻の戒名、仏画に発見 本能寺の変前に死去か

 大津市の聖衆(しょうじゅ)来迎寺(らいこうじ)が所蔵する仏画の裏面に、戦国武将・明智光秀の妻熙子(ひろこ)の戒名が見つかった。市歴史博物館が7日発表した。「天正9(1581)年に寄進した」と書かれ、光秀が主君の織田信長を討った翌年の「本能寺の変」以前に熙子が亡くなっていた可能性が高くなった。

 聖衆来迎寺は光秀が築いた坂本城のあった大津市坂本地区にあり、光秀の庇護(ひご)を受けた。

 仏画は入滅(死去)した釈迦が横たわる姿を描いた「仏涅槃図(ぶつねはんず)」(16世紀後半~17世紀半ば、縦約145センチ、横約135センチ)。裏面中央に6行約70字の墨書があり、「天正9年8月に福月真祐大姉(ふくげつしんゆうだいし)(熙子の戒名)ら4人を供養する」という内容が書かれていた。

記事後半では、NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の時代考証を担当している識者の見解も紹介しています。

 細川ガラシャの母としても知られる熙子の死去年をめぐっては二つの説があった。

 同じ坂本地区にある明智一族の…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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