令和2年春の褒章で、黄綬褒章を受章したイタリア料理店「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」(東京都中央区)オーナーシェフ、落合務さん(72)に喜びの声を聞いた。
「『おいしかった』という言葉が賃金の一部みたいなもの。料理は人を笑顔にすることができると思う」
日本イタリア料理協会の会長も務める重鎮は、料理人の喜びをそう表現する。
この道を目指したのは高校1年生のときだった。家庭内のいざこざから、「学校には行かない」と父親に言い放った。
「学校辞めて何になるんだ」
問われてとっさに脳裏に浮かんだのは、中華そば屋で見た店主が炒飯を作るときの、華麗な手さばきだった。
「コック」
そう答えたが、「それまでコックになりたいと思っていたわけではなかった。苦し紛れだった」と笑う。
高校を中退して洋食屋に務め、19歳でホテルニューオータニに入社し、フランス料理を学んだ。22歳で赤坂の洋食レストラン「Top’s」に就職。勉強のため渡仏し、その際に食べたイタリア料理は「凝っていないし、いい印象がなかった」という。しかし、社長の指示で昭和53年から約3年間イタリアへ料理修行することになり、そこで奥深さを学んだ。「社長の指示がなければ、今の人生はなかった」と振り返る。
帰国の翌年、イタリア料理店「グラナータ」のシェフに就任。「40年ほど前までは、日本でイタリア料理と聞いてピンとくる人はいなかった」という状況で、最初の1年は閑古鳥が鳴いた。しかし昭和59年、「イタ飯ブーム」が到来し、イタリア料理が認知され始めた。
平成9年に「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」をオープン。「日本一予約が取れないレストラン」と言われる店のオーナーシェフになった。現在は新型コロナウイルスの感染拡大防止から本店などは臨時休業中だが、医療従事者への弁当支給などを計画している。
父親に「コック」と口走った少年は、現代の名工に選ばれ、昨年度は文化庁長官表彰も受けた。今回の受章の知らせに「まさか自分が受章すると思わなかった」と喜びをかみしめた。(吉沢智美)
Source : 国内 – Yahoo!ニュース