昭和のスター、一線退き転身の理由 那須で夢追い35年

 レコード大賞、紅白の司会に人気ドラマ出演と、昭和の芸能界で大活躍した佐良直美さん。74歳になったいま、芸能活動はほぼ休止し、栃木・那須で家庭犬のしつけなどを指導する施設を主宰、動物と人との共生に情熱を注ぐ。転身の理由は何だったのか。

 16歳の時からジャズを学び、1967年、大学卒業後に歌手デビュー。デビュー曲の「世界は二人のために」が日本レコード大賞新人賞に輝き、NHK紅白歌合戦にも出場するなど一躍スターになった。明るく朗らかな性格ゆえにバラエティー番組「8時だョ!全員集合」やテレビドラマ「ありがとう」などでも存在感をみせた。

 紅白歌合戦の紅組司会にも起用された。紅組の司会回数は最多タイの5回。72年と74~77年、当時は視聴率70%を超えるお化け番組の顔だった。

 当日の曲紹介は、自分のクリスマスコンサートが終わってから、出場歌手のレコードを借りてきて聴きながら考えた。NGになったのは一つだけ。「田中角栄内閣が誕生した72年の初司会の時に『田中内閣は日本列島改造論』、青江三奈は『日本列島・みなと町』と提案したら、政治色が強いと却下になりました」

 芸能活動で多忙を極めた佐良さ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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