聞き手・鶴信吾
51年前の2月19日、長野県軽井沢町の保養施設で過激派グループ「連合赤軍」のメンバー5人が人質をとって立てこもった。10日間に及ぶ銃撃戦で、警察官ら3人が殺害された「あさま山荘事件」。雪野建作さん(75)は、使われた銃の調達役だった。「暴力に訴えたのは明らかな誤りだった」。半世紀を過ぎた今、事件を振り返る。
「この戦いは負けた」
「敗北した」。あさま山荘事件が起きたこと伝えるニュースを拘置所の中で知ったとき、私はこう感じました。山荘には仲間が立てこもっている。でも、籠城(ろうじょう)は、永久にはできない。いつかは捕まる。警察官を射殺したってどうにもならん、この闘いは負けた、と。
私は、銃を強奪した罪で勾留され、ニュースは新聞で読みました。まさか仲間が真冬の雪山にいるとは思いも寄らなかった。てっきり皆、都会のアジトにいるものだとばかり思っていました。それに私たちは、警察官を殺すために銃を強奪したわけではなかったんです。
警察官を撃ち殺すためではなかった――。雪野さんがそう語った一方で、奪われた銃によって警察官2人を含む3人が殺害されてしまいます。なぜ目的が変わったのか。銃を手にしていく過程で組織の「変化」があったといいます。
私が通った都立大学附属高校…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル