暴対法30年 「個人追っても竹やり戦法」、疑問訴えた刑事に局長は

 暴力団対策法の施行から今年で30年となった。「今は何かにつけて組員だとわかると損だ」。関西山口組系の組幹部が、取材に状況の変化を語った。

 組に入り、初めて名刺を作ったのは30年以上前。16歳だった。「うれしくて3日間で100枚くらい配りまくった」

 20代になると、繁華街の飲食店から用心棒役を頼まれるようになった。名刺は組名や代紋が入ったもの、名前と電話だけのものを使い分けた。

 最盛期は1990年代、バブル経済崩壊から間もないころ。店舗の入れ替わりが激しく、新しい店と次々に関わりができた。みかじめ料は月に500万円超。ヤミ金融や芸能関係の収入もあり、「多い月で2千万円は稼いだ」と振り返る。

機動隊員が警備する中、山口組総本部に家宅捜索に入る警視庁の捜査員ら=2007年、神戸市灘区

 ただ、付き合いの長い飲食店も徐々に閉店していき、みかじめ料は今、最盛期の3分の1ほどになったという。

 今も店から新たな依頼がくることもあるが、引き受けるかどうかためらう。「向こうの金払いが滞ってもめると、警察や弁護士に『守ってくれ』と泣きつかれる。そのダメージを考えると簡単に受けられない」

 暴対法が施行され、暴力団排除条例ができて、10年ほど前から名刺の管理が厳しくなった。恐喝や脅迫の容疑で逮捕されることがないよう、名刺は事務所でシュレッダーにかけさせられたり、上部団体が集めて処分したりしたという。「名刺を渡した相手が後になって『怖かった』『威圧された』と言ったら終わり。こっちも気をつけるから恐喝や脅迫での逮捕は減ったんやろう」と言う。

 今は名刺を作っていい人は組…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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