最後の授業の日、津波に流されたモンティ先生 残されたメッセージ

 「モンティ先生」

 陽気な米国人青年は、子どもたちから親しみを込めて、そう呼ばれていた。

 山口道明さん(63)が、外国語指導助手として来日したモンゴメリー・ディクソンさんと知り合ったのは2009年。岩手県陸前高田市にある米崎小学校の副校長をしていた時だった。

 2人には意外な共通点があった。県内の教師は岩手大の出身者が多い。でも山口さんは北海道教育大函館校の卒業生。モンゴメリーさんが日本語を学んだのも同校で、2人は「先輩後輩」として親しく会話を交わすようになった。

 モンゴメリーさんは、ほかの外国語指導助手とは違い、授業が終わっても職員室に戻らず、休み時間は子どもたちと校庭で鬼ごっこやサッカーをしている。給食も教室で一緒に食べた。

 アラスカでの少年時代に両親を亡くしていた彼は、教師が一人ひとりの子どもたちと長く向き合うことの大切さを理解していた。新渡戸稲造の「武士道」を愛読し、日本の伝統と教育を学んで、将来は「日本と米国の架け橋になりたい。人の役に立つ仕事がしたい」との夢を描いていた。校外でも、近所の住民とお茶会を開いたり、居酒屋に飲みに行ったり。山口さんはそんな後輩のひたむきな姿にエールを送った。

 11年3月11日は、モンゴメリーさんにとって、米崎小での最後の授業の日だった。帰り際、山口さんは一つ、お願いをした。

 最後の授業を終えたモンティ先生は、報告のために教育委員会に向かいます。その前に、山口さんにある紙片を残していました。

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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