日米の長年の懸案となっている米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画は、移設阻止を掲げた玉城デニー知事が再選された翌日以降も、変わらず工事が進む。政府の強硬姿勢にあきらめが広がったともいわれるが、市民らの抗議の座り込みは先日、3千日を超えた。現場を訪ね、改めて聞いた。なぜ、続けるのか。
浜田靖一防衛相が就任後初めて辺野古入りした9月29日も、通称ゲート前には座り込む人がいた。「新基地断念まで」「不屈」。そんな看板近くにいた赤嶺智江さん(69)=うるま市=に話しかけると、「基地が生活の中にある、というのがどういうことかわかっているから」。そんな答えが返ってきた。
ゲートとは、辺野古沿岸部に広がる米海兵隊キャンプ・シュワブの門。米軍関係者や移設工事車両が出入りするその門前で、赤嶺さんら数十人が身を寄せ合って座り、機動隊員に囲まれながらも「工事をやめて」と声を上げる。
座り込みが始まったのは、政府が移設事業に着手した6日後の2014年7月7日。工事がある平日の日中を中心に各地から数十人が集まる。節目や週末には数千人規模の集会も開かれ、台風やコロナ禍の中断期間も含め、知事選翌週の先月22日で3千日。10月2日で3010日を数えるが、玉城知事が再選された後も、県民投票で7割が反対した後と同じように、工事車両の出入りが続く。
「民意ってこんなに軽いのかなって、悲しくなる。でも、声が届くまで絶対諦めちゃだめ」。自分に言い聞かせるようにそう話す赤嶺さんの胸には、高校時代の記憶があった。時々、言葉を詰まらせながらも少しずつ話を聞かせてくれた。
17歳。米軍統治下から日本に復帰する2年前だった。離島の実家から進学のため沖縄本島に出て、寮生活を送っていた。学校がある沖縄本島中部は基地が集中し、街には米兵たちがあふれていた。
いつも一緒に帰る友だちがい…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル