本名にたどり着くまで60年 四つの名前を経ていま、伝えたいこと

 物心ついたころ、男性は家族や友人から「まさお」と呼ばれていた。記憶にある最初の名前だ。

 東京・荒川で、8人きょうだいの4番目として生まれた。誰が名前をつけたのか、今となってははっきりしない。朝鮮半島出身の両親は「福田」姓を名乗っていた。

 両親は、朝鮮が日本の植民地だった1930年ごろに日本に来たようだが、詳しいことはわからない。当時の日本には、生活に困り、職を求めるなどして朝鮮から渡ってきた人が多くいた。日本風の名を名乗るよう求める「創氏改名」の動きもあった。

 45年3月、7歳の時に、東京大空襲で家を失った。日本は戦争に負け、この年の冬、荒川にできた「国語講習所」に通うこととなった。朝鮮学校の前身だ。

 入学時、両親は先生から言われた。「朝鮮学校だから朝鮮人らしい名前にしてはどうか」。父親が付けた名前は「朴福伊(パクポギ)」。2番目の名前だ。

 だが、すぐに改名することに…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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