李栄薫ソウル大名誉教授「韓国人の自己批判書だ」 発言全文(産経新聞)

 韓国でベストセラーとなった『反日種族主義』の編著者、李栄薫ソウル大名誉教授は21日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、同書について「韓国現代文明に沈潜している『原始』や『野蛮』を批判した」「韓国人の自己批判書だ」などと説明した。慰安婦問題やいわゆる徴用工問題についても見解を述べた。冒頭発言の全文は次の通り。

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 私と同僚研究者5人が書き、さる7月に出版した本『反日種族主義』は、韓国現代文明に沈潜している「原始」や「野蛮」を批判したものです。こんにち、韓国はその歴史に原因がある重い病を患っています。 個人、自由、競争、開放という先進的な文明要素を抑圧し、駆逐しようとする集団的、閉鎖的、共同体主義が病気の原因です。一言で言えば、文明と野蛮の対決です。私は世界のどの国もこのような対決構図から自由な国はないと思います。

 世界中のどの国も、その近代化の歴史において、このような対決構図による危機を経験していない国はありません。日本も1868年に明治維新を遂行して以来1930年代に至って、国家体制の大きな危機に瀕したことがあります。1948年に成立した大韓民国も、やはり建国70余年で大きい危機を迎えています。

 危機の兆候は非常に深刻です。下手すると、この国の自由民主主義体制は解体されるかもしれません。本『反日種族主義』は、そのような危機感から書かれました。韓国人たちに危機の根源がどこにあるのかを叫びました。それは、ほかでもない、われわれの中に沈潜している野蛮な種族主義であると告発しました。

 世界の先進社会の構成員は、自由人としてその活動範囲が世界に延びている世界人です。

 ある社会が先進化するということは、そこに属する人々が自由な世界人として進化することでもあります。大韓民国の建国は、このような自由、開放、永久平和の先進的理念に基づいてなされました。

 その後から今まで、この国が、第2次世界大戦以後に成立した数多くの新生国の中でまれにみる大きい成功を成し遂げたのは、このような世界が共有する先進理念に服したためです。

 1965年に韓国と日本の間で国交正常化がなされたのも、このような理念に基づいてのことでした。国交正常化を推進した朴正煕大統領は、わが国民に歴史の旧怨にとらわれないで、アジアの模範的な反共産主義、自由民主の国家として自信感と主体意識を持ち、日本と対等な位置で新しい未来を開いていこうと訴えました。

 それ以降の日本との緊密な協力関係は、韓国経済の高度成長を可能にさせました。1990年、盧泰愚委大統領は、日本の国会で次のように演説しました。

 「こんにち、われわれは、自国を守れなかった自らを自省するだけで、過ぎ去ったことを思い返して誰かを責めたり、恨んだりしません。次の世紀に東京を出発した日本の若者たちが玄界灘の海底トンネルを通り抜けてソウルの友達と一緒に北京やモスクワへ、パリとロンドンへと大陸をつないで世界を一つにする友情の旅行ができるような時代を共に作っていきましょう」

 韓国人がこのような認識と国際協力にもっと専心していたら、今頃より自由で豊かな先進社会を作れたはずです。

 しかし、その後に展開された歴史は、それとは違う方向に進みました。歴史は、大きい費用を払ってこそ、ほんの少しの進歩を許すのかもしれません。 

 1993年に成立した金泳三政権以来、「民主化」と「自律化」の名の下で、韓国社会に深く沈潜してきた野蛮な種族主義が頭をもたげました。日本との関係は、協力から対立に転換しました。北朝鮮との統一政策では、「自由」の理念に代わって「わが民族同士」という民族主義が優位を占めるようになりました。

 韓国の「自由民主主義体制」と北朝鮮の「全体主義体制」が連邦の形態で結合した後、統一国家へ前進できるという幻想が国民的期待として成立しました。

 1992年に提起されてから今までの27年間、韓日両国の信頼と協力を妨げてきた最も深刻な障害は、いわゆる慰安婦問題です。

 朝鮮総督府と日本軍の官憲が日本軍の性的慰安のために、純潔な朝鮮のおとめを連行・拉致・監禁したという主張ほど、韓国人の種族主義的な反日感情を刺激したものはありません。

 度重なる日本政府の謝罪と賠償にも関わらず、この問題が韓国で鎮定されることなく、むしろ増幅してきたのは、それが当代韓国人の精神的動向、すなわち「反日種族主義の強化」という傾向に応えたからです。

 私は、本『反日種族主義』の中で、さる27年間この問題に従事してきた韓国と日本の研究者たちと運動団体を批判しました。彼らは元慰安婦たちの定かでない証言に基づいて、慰安婦の存在形態とその全体像を過度に一般化する誤りを犯しました。

 彼らは朝鮮王朝以来、こんにちまで、長期存続した性売買の歴史において、日本軍慰安婦が成立した1937年から1945年の8年間だけを切り取る間違いを犯しました。日本軍慰安婦制は、近代日本で成立し、植民地朝鮮に移植された公娼制の一部でした。慰安婦制は、公娼制の軍事的編成に他なりません。女性たちが軍慰安所に募集された方式や経路も、女性たちが都市の遊郭に行ったそれと変わらないものでした。就業、廃業、労働形態、報酬の面でもそうでした。

 韓国における慰安婦制は1945年以後、都市の私娼、韓国軍特殊慰安部隊、米国軍慰安婦の形へと、さらに繁盛しました。1950年代、60年代において、韓国政府によって慰安婦と規定され、性病検診の対象となった女性の数は、1930年代、40年代の娼妓と慰安婦に比べてなんと10倍以上でした。彼女たちの労働の強さ、所得水準、健康状態、業主との関係は、1930年代、40年代に比べてはるかに劣悪なものでした。

 既存の研究は、このように韓国現代社会に深く浸透した慰安婦制の歴史には目をつぶっています。この点は、既存の研究者と運動団体が犯した最も深刻な誤りといえます。

 さる27年間、韓国において慰安婦問題が悪化してきたのは、関連研究者たちと運動団体の責任が非常に重いです。彼らはまるで歴史の裁判官のように振る舞ってきました。彼らが元慰安婦を前に立たせて行進するとき、彼らを阻止できる何の権威も権力も存在しませんでした。彼らがこの問題に関する日本政府との協約を破棄するよう叫ぶとき、韓国政府は黙従しました。彼らは政府の上から君臨しました。国民の強力な反日種族主義が彼らを絶対的に支持したからです。

 彼らは強制連行説と性奴隷説を武器にして、日本の国家的責任を追及してきました。

 その執拗(しつよう)さは、日本との関係を破綻にすると言っても過言ではないほど盲目的でした。

 皮肉にも、強制連行説と性奴隷説は、日本で作られたものです。ある日本人は、朝鮮の女性を強制連行した自身の犯罪を告白する懺悔録を書きました。ある歴史学者は、性奴隷説を提起して、韓国の研究者と運動団体を鼓舞しました。それは、歴史学の本分を超えた高度に政治化した学説でした。

 彼らは、韓国の社会史、女性史、現代史に対して何も知らない状態でした。彼らの韓国社会と政治に対する介入は不当であり、多くの副作用が派生されました。

 今のところ、両国の関係を難しくしている徴用工問題も韓国人の種族主義的な視点から提起されたものです。信じがたいかもしれませんが、2005年に盧武鉉政権が被徴用者に補償を行う当時まで、韓国ではそのことに関する信頼できる論文や研究書が一つも存在しませんでした。

 (韓国)政府は、1939年から日本に渡った全ての朝鮮人を徴用の被害者と見なしました。その中には、1944年の8月以後の、本当の意味での徴用だけでなく、以前からあった日本の会社の募集や総督府の斡旋(あっせん)も含まれていました。

 募集と斡旋は、当時の政治情勢からみて、まったく圧力がなかったとはいえませんが、あくまでも日本の会社との契約関係でした。彼らに加えて、韓国政府は連鎖移民の形で日本に自由渡航した人々まで徴用の被害者と見なしてしまう、笑ってはすまされない寸劇を演じました。

 以降、何人かの韓国人がより多くの補償を求めて国境を越えて日本でも裁判を起こしました。彼らは皆、徴用ではなく募集と斡旋の経路で日本に渡った人たちです。自国の国際的威信などには見向きもしない彼らの「僭越(せんえつ)」は、彼らだけの責任ではありません。 

 韓国の反日種族主義は、彼らの国際的裁判を支持しました。彼らは日本でも心細くありませんでした。慰安婦問題のときと同様、いわば「良心的」日本人が彼らを物心両面で支援しましたが、結果的には両国の信頼・協力関係を阻害するのに寄与しただけです。

 歴史の進歩は、遅い速度でしか進まないようです。

 韓国は人口が5000 万以上でありながら一人当たりの所得水準が3万ドル以上の世界で10カ国もない先進グループに属しています。それでも、この国の精神文化には19世紀までの朝鮮王朝が深い影を落としています。朝鮮王朝は、明・清の中華帝国の諸侯国でした。朝鮮王朝は、完璧に閉鎖された国家でした。

 中国は世界の中心として、日本は海の中の野蛮人として認識されていました。人間の「生と死」の原理は、自然宗教のシャーマニズムに多く規定されていました。個人、自由、利己心、商業を正当化する政治哲学の進歩はないか、微弱でした。

 その結果、18世紀から19世紀の朝鮮の経済は、深刻な停滞を招きました。人口の多数は、なお原始と文明の境界線でさまよっていました。さる20世紀に渡って韓国人の物質生活には実に大きい変化がありました。しかし、人々の社会関係、精神文化、ひいては国際感覚において本質的な変革はありませんでした。私は、こんにちの韓国の反日種族主義を以上のような歴史的視座から理解しています。 こんにち、韓国で日本は理解の対象ではありません。もっぱら仇怨の対象なだけです。日本が韓国を支配した35年間は恥の歴史なだけです。それに対する客観的評価は、「植民地近代化論」と言われ、反民族行為として糾弾されます。その結果、こんにちの韓国人は、自分たちの近代文明がどこから、どのように生まれてきたのかを知りません。こんにちの韓国人は、自分の歴史的感覚において朝鮮王朝の臣民そのままです。同様に、こんにちの韓国人はこんにちの日本を旧帝国の延長として、ファシスト国家として感覚しています。 

 本『反日種族主義』の日本語翻訳と出版には多くの煩悶(はんもん)がありました。すでに指摘したように、本『反日種族主義』は、韓国人の自己批判書です。

 自国の恥部をあえて外国語、しかも日本語で公表する必要があるかという批判を予想することは難しくありません。それでもわれわれが出版に同意したのは、それが両国の自由市民の国際的連帯を強化するのに役に立つだろうという判断からでした。

 広く開かれた国際社会においてその波長が国際的でない事件は一件もありません。韓国人が患っている病もそうです。病気は知らせた方がよいです。 

 実は、われわれのそのような悩みは本『反日種族主義』の韓国語版の出版のときからありました。それでもわれわれの主張に多くの韓国人が応えてくれました。 

 建国70年に、少なくない韓国人が自由理念に基づいた世界人として成熟しました。全国の主要書店で本『反日種族主義』は、 総合ベストセラー1位の地位を相当な期間占めました。それは正に望外の事件でした。 

 遅いながらも、歴史は着実に進歩の道を歩みました。そのような期待を本『反日種族主義』の日本語版にも懸けたいです。韓国人には自身の問題を国際的な観点から省察する好機になるでしょう。また、日本人には、韓国問題を、「親韓」あるいは「嫌韓」という感情の水準を超えて前向きに再検討できるきっかけになれると思います。

 韓国と日本は、東アジアにおける自由民主主義の堡塁(ほうるい)です。この自由民主主義が、韓半島の北側に進み、大陸にまで拡散できることを望みます。

 このような歴史的課題のため、韓日両国の自由市民が、お互いに信頼・協力する必要があります。

 本『反日種族主義』がそのような国際的な連帯を強化するのに、ほんの少しでも役立てば、それ以上の喜びはありません。

 最後に、本『反日種族主義』の日本語版の出版をしていただいた文芸春秋様には感謝の気持ちを申し上げたいです。また、韓国に対するご愛情と憂慮のお気持ちでこの本を購入していただいた日本の読者の皆さまにも御礼申し上げます。以上です。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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