いったい、東京五輪・パラリンピックはこのまま開催するのか、中止するのか、延期するのか。新型コロナワクチンの普及も見通せない。霧のかかったような見通しの悪さに、イラーっと来ているのは私だけではあるまい。
精神科医の宮地尚子は、エッセイ集『傷を愛せるか』で、米国の首都ワシントンDCの中心部にあるベトナム戦没者記念碑が今日まで残されていることを一つの「奇跡」だと綴(つづ)る(〈1〉)。ベトナム戦争は米国史において、唯一「負け」に終わった戦争であり、失敗、判断ミス、欲望、身勝手さ、傲慢(ごうまん)さを象徴する「みじめな『傷跡(きずあと)』」だ。大論争の末1982年に建てられたこの「記念碑」に、宮地自身違和感を抱いていた。しかし、実際に訪ねてみて、傷を愛することは難しくても、傷をなかったことにはしないでいたいと、敗北の記念碑の価値を語る。
日本に生きる私たちは、五輪のために建てられたスタジアムや選手村を、後年、どのような「記念碑」として見上げることになるだろう。私たち市民にとって、もはやなぜ開催するのかさえわからなくなっている失敗五輪を、せめて傷として記憶し、後世に語り継ぐことができるだろうか。
「人間の歴史にはさまざまな傷がある」と林香里氏。傷を見なかったことにしたい欲望を押し返し、未来へ語り継ぐことが必要だと訴えます。
本間龍は、世界的に見て、東…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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