聞き手・伊木緑
新型コロナウイルスの感染拡大で開催に逆風が吹き続けている東京オリンピック(五輪)だが、新型コロナが広がる前にも、開催費用の高騰、国立競技場やエンブレムの白紙撤回問題などさまざまな問題があったのに、反対論が大きく広がることはなかった。あの「支持」の正体はなんだったのだろう。阿部潔・関西学院大教授(社会学)に聞いた。
――NHK放送文化研究所が2016年から5回実施した東京大会に関する世論調査では、五輪が東京で開催されることについて、いずれも8割超の人々が「よい」「まあよい」と肯定的な回答をしています。あの支持はなぜ生まれたのでしょうか。
11年に20年大会の招致を表明するにあたって、当時の石原慎太郎都知事は「復興五輪」を掲げました。あの当時、たとえ空疎でも「復興のために」と言っているものに文句は言えないという、ある種の圧力がありました。
東日本大震災以降、日本社会全体が閉塞(へいそく)感に覆われていた。現実をみれば未来に明るい展望などもてない中、たとえ根拠に乏しくても「希望がもてそうという希望」が見えた時、それにあらがったり水を差したりすることはできない。そういう空気でした。
原発事故も含め、これだけ深刻なことが起きれば、人々がこれからの社会について真剣に考えるきっかけになるのかと思ったら、違った。社会は「日常を取り戻したい」「大丈夫、何とかなる」という方向に向かった。震災が浮き彫りにした新たな課題を見つめ直すよりもむしろ目を背け、はかない希望にすがった。
招致時のキャッチコピーは「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」でした。「夢の力」が何なのか具体的に説明されていませんが、これがもし「経済復興」や「産業支援」など具体的なものだったら引きつけられなかったでしょう。皮肉ですが、そういう意味でよくできたコピーでした。
明確な根拠はなくても「オリンピックがあったらきっと楽しいよね、元気になれるかもね」という「なんとなく賛成」という層が多数になったのでしょう。
――反対する声がなかったわけではありませんが、大きなうねりにはなりませんでした。なぜですか。
反対した人たちは根拠をもっ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル