10万人の命を一晩で奪った東京大空襲から10日で75年になる。猛炎を逃げ延びた隣組の面々が「生き抜いた証し」に納まった写真の中央にいた赤ん坊は、現在76歳。両親への感謝と平和の尊さを今もかみしめる。
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1945年3月10日朝、国技館に近い東京都本所区(現・墨田区)東両国の隣組は、コンクリートのビル内に身を寄せ、じゅうたん爆撃を生き延びた。街はまだ煙を上げてくすぶり、あちこちに炭化した死体が転がっていた。
「フィルムが1枚余っている。何を撮ろうか?」
近くに住んでいた建築家の加藤吾郎さん(当時37、2001年死去)は、向かいで写真館を営んでいた工藤哲朗さん(同54、1971年死去)から声をかけられ「じゃ、生き残った人を撮りましょう」と答えた。国民服やもんぺ姿の顔ぶれがすすまみれで、工藤さん自慢のライカに向かって並んだ。
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集合写真の中央に母子の姿がある。母親は吾郎さんの妻キクさん(同36、98年死去)。背中の赤ん坊は、末っ子の三男で当時1歳半だった勝啓(まさひろ)さん(76)=大阪市西区=だ。
勝啓さんは、民間航空のパイロ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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