聖火到着の式典で、航空自衛隊のブルーインパルス(ブルー)が空に五輪シンボルを描いてから間もなく1年。「練習でも経験したことない、操縦が困難なほどの強風だった」。パイロットとして参加した佐藤貴宏さん(35)が、当時の舞台裏を明かした。
聖火は2020年3月20日、ギリシャから、ブルーの拠点である航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)に運ばれた。
当日の松島基地周辺は、式典の参加者がまっすぐ立っているのに苦労するほどの強風だった。佐藤さんによると、「地上よりも上空はさらに風が強く、練習でも経験したことがないほどだった」という。
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佐藤さんの担当は、スモークで黄色の輪をつくること。30秒ほどの旋回で、直径約1200メートルのゆがみのない円を描かなければならない。それだけでも難しいのに、さらに他の4色と、旋回やスモークを出すタイミングをカチッと合わせられなければ、失敗になる。経験のないほどの強風の中で成功させるハードルは高かった。
それでも、1964年東京大会以来の歴史に残る挑戦に、ミスは許されない。「プレッシャーを非常に感じて。一生懸命イメージトレーニングして、舞い上がらないようマインドコントロールしました」
結果、スモークは強風ですぐに流されてしまったものの、飛行のタイミングや形は成功。ほんの一瞬ではあったが、空に五輪を焼きつけることに成功した。
2カ月後の5月29日には、コロナ禍下の東京上空をフライトすることで医療従事者らに感謝を伝えた。
フェニックスという「く」の字のような隊形を組み、まっすぐ進む飛行で、「五輪シンボルに比べれば比較的容易なうえ、風も無かったので、成功のプレッシャーはそれほどでもなかった」という。
ただ、自衛隊機が都心上空を飛ぶ機会は普段はほぼないため、「スカイツリーや東京タワーが目に入ったときは、多くの人が見ているんだなと意識してしまい、少し緊張しました」と振り返った。(伊藤嘉孝)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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