軽(かろ)みの話芸で江戸の古典落語で高い境地を示した人間国宝の落語家、柳家小三治(やなぎや・こさんじ、本名郡山剛蔵〈こおりやま・たけぞう〉)さんが7日、心不全のため死去した。81歳だった。葬儀は密葬で営まれた。落語協会によると、お別れの会は予定していないという。
人物描写の確かさや、滑稽みの打ち出し方など、正統な江戸の古典落語を継承する存在で、庶民の喜怒哀楽を体現した噺家(はなしか)だった。
1939年東京生まれ。59年、五代目柳家小さんに入門した。69年に17人抜きで真打ちに昇進し、十代目小三治を襲名。以後、古典落語の本格派として活躍した。2014年、落語家では師匠の小さん、上方の桂米朝に続き、3人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
つい最近まで、元気に高座に上がっている、と聞いていたので突然の訃報に接し只々、呆然とするだけです。落語史に、大きな区切りの線が引かれたのは、確かです。何事にも迎合することを嫌い、派手を好まず、極めて芸人らしからぬ、孤高の噺家でした。
個人的には、師匠先代小さん亡き後、芸について口やかましい事を言ってくれるのは、小三治師匠だけだったので、いよいよ心細く、寂しくなりますが、「もうあんなに沢山、薬を飲まなくてもいいんだな」と思うと、少しだけほっとします。
小三治師匠、長い間、お疲れさまでした。本当にくたびれましたねぇ。どうかゆっくり、お休みください。有難うございました。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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