佐々木亮、安斎耕一
核兵器の廃絶と平和な世界の実現を求める「正月座り込み」が1日、長崎市の平和公園であった。元旦恒例の催しで今回で21回目。被爆者や、核廃絶を訴えて署名活動をする「高校生平和大使」ら約60人が参加し、青空の下、反核・平和への思いを新たにした。
今年は被爆77年。核不拡散条約(NPT)の再検討会議はコロナ禍で4度目の延期が決まったが、日程が再調整される。3月には核兵器禁止条約の第1回締約国会議がある。国内に目を向ければ、「黒い雨」に遭った人を被爆者と認める審査指針案を巡る国との協議や、被爆2世の集団訴訟が山場を迎えるなどの動きがある。
長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長の川野浩一さん(81)は3月の締約国会議へのオブザーバー参加に消極的な日本政府の姿勢を指摘した上で、「政治を動かすにはこれまでの活動の倍くらいの力が必要だ。多くの若い人が育っている。不幸な歴史を繰り返さぬよう、核兵器廃絶を訴え続けていこう」と連帯を呼びかけた。
また、毎月9日に平和祈念像前で核廃絶を訴える「反核9の日座り込み」の提唱者で、県原水禁副会長の矢嶋良一さん(80)が昨年末に亡くなり、参加者から悼む声が相次いだ。
座り込みのきっかけは、1978年10月の原子力船「むつ」の佐世保入港への抗議。県労評(現・県平和運動センター)組織局長だった矢嶋さんの呼びかけで翌年3月に開始。82年のむつ出港後は、長崎原爆の日の8月9日にちなんで毎月9日の座り込みに変わった。
川野さんは「彼を追うように私も活動し、座り込みではいつも隣同士だった。一緒に頑張っていこうと思いながら座り込んできた。かけがえのない人を失い、本当に残念だ」と話した。(佐々木亮、安斎耕一)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル