戦後、被爆者らは自ら、国の援護策拡大を求め、核廃絶を訴える運動を作り上げてきた。当事者による訴えの切実さは、国や国際社会を動かすテコになった。今、高齢化や団体の活動基盤の弱体化が進み、運動は岐路を迎えている。その果たしてきた役割を振り返り、今後の展望を探る。
2017年8月9日、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長の川野浩一(81)は長崎市内のホテルで、首相の安倍晋三(当時)と向き合った。被爆者5団体でまとめた要望書を手渡すためだ。
例年ならただ手渡すところ、川野はじっと安倍の目を見つめて口を開いた。「あなたはどこの国の総理ですか、私たちをあなたは見捨てるのですか」。安倍の頰が赤らみ目が泳いだように見えた。川野はたたみかけるように訴えた。「今こそわが国が、あなたが、世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきです」。安倍はその後、川野と目を合わせることなく会場を後にした。
激しい言葉は、その年に国連で採択された核兵器禁止条約に背を向ける政府への怒りからだ。原爆投下による惨禍を世界で唯一経験したにもかかわらず、米国の「核の傘」の下にあることを理由に採択・批准しようともしない。「日本が核廃絶の先頭に立たんといかんでしょう」。当時を振り返る川野の言葉が、再び熱を帯びた。
平和祈念式典で長崎を訪れた首相や厚生労働相への「被爆者団体からの要望」を、長崎市内に拠点を置く被爆者5団体の代表がそろい、連名で行うようになったのは1991年から。ただ、国から返事が来たことは一度もない。
川野は、国が毎年、要望を受…
この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。
残り:605文字/全文:1134文字
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル