被爆地広島・長崎には、政治や文化、スポーツなどの第一線で活躍する人々も数多く訪れました。核兵器廃絶を訴え続ける「原点」とも言える地で、何を考え、どんな言葉を残したのか。広島の平和記念資料館と長崎の長崎原爆資料館の「芳名録」に記されたメッセージを手がかりにたどりたいと思います。
《過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。広島を考えることは、核戦争を拒否することです。広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです》(1981年2月25日、広島市中区の平和記念公園での平和アピール)
広島は雪がちらついていた。1981年2月25日、平和記念公園に集まった市民やカトリック教徒ら約2万5千人の観衆を前に、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は原爆死没者慰霊碑に花を手向けた。そして静かに地面にひざまずき、約40秒間、目を閉じて黙禱(もくとう)を捧げた。
市民らに向きなおると、片言の日本語でゆっくりと語り始めた。
《戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です》
《広島を考えることは核戦争を拒否することであり、平和に対しての責任を取ることです》
教皇は約30分の「平和アピール」を、日、英、仏、スペイン、ポルトガル、ポーランド、中国、ドイツ、ロシアの9カ国語で語った。
平和アピールは米国とソ連の緊迫していた関係に警鐘を鳴らしたとされる。この年の1月にレーガン大統領が就任。ソ連を「悪の帝国」と呼び、米ソ関係が悪化した。
《人類は紛争や対立を平和的手段で解決するのにふさわしい存在。険しく困難だが、平和への道を歩もうではないか》。広島からそう呼びかけた。
広島に続いて、長崎を訪れた教皇は、平和と核兵器廃絶をより一層強く世界に訴えるようになっていきます。広島・長崎を訪れた教皇が、胸の中で重ねた光景とは。記事後半では、教皇の訪問を目の当たりにした人たちが、当時の様子や思いを語ります。
この日、平和記念資料館(広…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル