核燃料輸送、許可しないと「日米の古傷開く」 米大統領、苦渋の判断

 米国核不拡散担当大使のジェラード・スミスは1978年9月26日、大統領のジミー・カーターのもとを訪ねた。東京電力福島第一原発関西電力高浜原発福井県)からの使用済み核燃料の英国とフランスへの移転を認めるかどうか、協議するためだった。

 スミスは言った。「在京の米国大使館は許可されなければ、古傷が開くと言っています」

 「古傷」とは、スミスが担当した東海再処理施設茨城県)の稼働を巡る日米交渉を指した。77年春、大統領就任直後のカーターは、核拡散への懸念からプルトニウムをとりだす東海再処理施設の運転に待ったをかけた。約半年後に妥結したものの、日米関係が一時悪化した。

クリストファー元国務長官「日米関係の悪化を懸念」

 ただ、日本の申請を許可することは、カーターの選挙公約でもあった核不拡散政策の修正を意味した。とくに関電の申請は、大統領の政策指針に合致していなかった。核燃料を納める貯蔵プールの容量が足りないからではなく、核燃料の搬出が原発立地の条件になっていること、搬出の遅れによって発生する巨額のペナルティーを回避したいことが理由だったからだ。

 2人の協議に先立ち、後にクリントン政権で国務長官を務める国務副長官のウォレン・クリストファーらは「許可基準の多少の修正は必要だ」と、カーターに進言した。その提案文書によると、基準の緩和はほかの国々からも米国産の核燃料の輸送を認めるよう圧力が増す恐れがある一方、許可の遅延や不許可は日米関係の悪化を招き、ほかの核不拡散政策への支持が得られなくなると懸念していた。

 また、取りだされるプルトニ…

この記事は有料記事です。残り730文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment