伊勢神宮(三重県伊勢市)への参拝がブームとなった江戸時代。参拝者が行き交う伊勢路には、お茶と餅(もち)で旅人の疲れを癒やす茶屋が並んでいた。そして今も、県内にはいにしえの餅が街道沿いに残る。人呼んで「餅街道」。甘い物好きの記者が、街道を歩いた。
東海道で三重県最初の宿場町があった桑名市。ここに伝わるのは細長い「安永餅」だ。江戸中期創業という「安永餅本舗 柏屋」(桑名市)を訪ねた。
柏屋の由緒は、農作業の合間に始めた旅人向けの茶屋という。森昭雄社長(51)が教えてくれた。「江戸時代はべらぼうな数の人が通ったんでしょうから、そこかしこで餅が売られたのではないでしょうか」
県によると、江戸後期の1830年には、半年で約500万人が伊勢神宮を参拝したという。
店内の作業場では、従業員が手慣れた様子で、ちぎった餅であんをくるみ、長く伸ばしていた。餅が鉄板で焼かれると、香ばしい香りが鼻をくすぐる。
柏屋を後に南下すると、江戸から伝わる餅が次々と見つかった。四日市市の「なが餅」「太白永餅」、鈴鹿市の「立石餅」。どれも細長い形だ。
学校法人・大川学園(津市)の理事長で、郷土食に詳しい大川吉崇(よしたか)さん(78)によると、四日市市内で東海道から分かれた伊勢街道沿いには、茶屋がたくさんあったという。
大川さんは「餅は現代の駅弁のような存在だった」と話す。「餅は道中で持久力をつけるにはうってつけ。肥沃(ひよく)な伊勢平野では米の生産が盛んなことも影響している」とも。
旅は順調、おなかも満たされ、さあ津市へ。
しかし、津市では江戸からの餅…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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