東京社会部・伊木緑
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)による女性蔑視発言があった翌日。「女性が入ると会議に時間がかかる」実例として挙げられた日本ラグビー協会で、女性で初めて理事を務めた稲沢裕子・昭和女子大特命教授(62)に取材した。
発言の報道に触れた時、「私のことだ、と思った」と言う。発言の後に起きた笑いについて尋ねた時の答えに、胸が締め付けられた。「私も笑う側でした」
稲沢さんが読売新聞記者になったのは、1985年の男女雇用機会均等法の制定前だ。「男社会の中で女性は自分だけという場が多く、笑うしか選択肢がなかった。笑いを笑いで受け流していた」
今回の発言を受け、ツイッターでは「#わきまえない女」のハッシュタグを添えた投稿がわき起こった。森氏が言った「組織委員会に女性は7人くらいおりますが、みなさん、わきまえておられて」にちなんだものだ。
稲沢さんも「わきまえて」きたのだろう。ツイッターの声も「わきまえてなんかいない」という反論よりも、「わきまえてしまったこともあったが、もうわきまえない」という決意が目立った。怒りと共感が広がったのは、大きな組織の役員に就くような女性に限った話ではないからだ。
たとえば新型コロナウイルス対策の給付金が世帯主にまとめて振り込まれたために自分で手にできなかった人。勤め先の客が激減し、補償もなくシフトを大幅に減らされた人。結婚後も自分の姓を名乗りたかったのに周囲を説得しきれずあきらめた人。いずれも最近、取材した女性たちの声だ。
疑問や怒りを感じながらも、声を上げられなかったり、上げても聞き入れられなかったりして、結果的に「わきまえ」させられた経験のある女性は多い。
男性だって同じだ、と思うかもしれない。でも考えてみてほしい。官民ともに意思決定層の大半を男性が占める社会で、女性たちの声が軽んじられ、意見しようものなら疎まれてきたことを。ジェンダー格差を意識せずに生きてこられたこと自体が特権であると、男性はまず自覚するべきだ。(東京社会部・伊木緑)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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