横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で北朝鮮による拉致被害者家族会の初代代表、滋さん(87)の死去から一夜明けた6日、知人らは滋さんに思いを寄せ、めぐみさん救出への決意を新たにした。
小、中学校でめぐみさんの親友だった眞保(しんぼ)恵美子さん(55)は「何の根拠もないのですが、めぐみさんが帰ってくるまで元気でいらっしゃるものと思ってきた」と憔悴(しょうすい)した様子で打ち明けた。最後に会ったのは今年1月。病院を見舞い、まどろむ滋さんと言葉は交わせなかったが、妻の早紀江さん(84)は「眞保さんだと分かっているよ」と話してくれた。
眞保さんは滋さんが撮っためぐみさんの写真を自宅に飾っている。「めぐみさんを帰国させ、早紀江さんを支えるためにできることを何でもする」と誓った。
「滋お父さん、間に合わず申し訳ありません」。めぐみさんの同級生の会の池田正樹代表(56)=新潟市=は、言葉を詰まらせた。最後に会ったのは5年前。早紀江さんから容体を聞くたび、焦りが募った。
池田さんは今年4月、新潟市立寄居中を訪れた。滋さんがめぐみさんの入学記念で撮影した写真の背景になった美しい桜は朽ちかけ、ここ数年、花もほぼ咲かない。涙が止まらなかった。「時が流れ過ぎた。改めて、滋さんのめぐみさんへの愛情を胸に、諦めずに尽力する」。そう誓った。
父親が滋さんの同僚で東京都立川市立立川第七中の教諭、佐藤佐知典(さちのり)さん(60)は「生きる限り絶対に拉致問題を風化させない」と悔しさを押し殺した。めぐみさんが拉致された当時、自宅は近所にあった。
救出運動の初期から参加した佐藤さんは「滋さんは仏様のようだった」と振り返る。雨の日も風の日も路上で署名を呼びかけたが、世間の関心は薄かった。それでも滋さんは笑顔で訴え続けた。佐藤さんは「御霊(みたま)がきっと、空から見守っている。必ずめぐみさんを帰国させる」と力を込めた。
横田さん夫妻が住む川崎市のマンション住民が設立した支援組織「あさがおの会」の田島忠代表(78)は1月ごろ入院先を見舞ったのが別れとなった。
住民同士、30年近い付き合いだが「私の顔を見てもはっきりと分かってもらえなかった。状態が良くないと実感した」と振り返る。
めぐみさん拉致が表面化した平成9年2月に初めて、めぐみさんの存在を知った。「人知れず苦労があったと思う。今は安らかに、ゆっくり休んでくださいという思いだ」と声を震わせた。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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