歴史的な一枚、写り込んでいた生の証し 現地歩き、振り切れた迷い

 「BIG EARTHQUAKE!」

 航空自衛隊松島基地の管制官が叫ぶ声が、仙台湾上空にいた毎日新聞社のヘリコプターに響いた。揺れは尋常ではない様子だが、空中では何も感じない。

 乗っていたのは、東京本社のカメラマン手塚耕一郎(45)ら。11年前のその日は、羽田から青森県八戸市へ飛び、空撮取材をした帰路だった。

 間もなく手塚の携帯が「震度6強 宮城県北部 宮城県中部」「大津波警報発表中」との速報を受信する。手塚は仙台市に向かい、空から地震の被害を探すことにした。

 駅前に集まる群衆。マンション火災。ビール工場で倒れたタンク……。ただ、ビル倒壊といった大きな被害は見当たらない。

 燃料はもう、いくらも残っていなかった。

 地震から1時間近くがたった午後3時40分、宮城県名取市の海岸沿いにある仙台空港に着陸。ローターを回したまま、整備士が給油の交渉に走る。

 上空を飛ぶ防災ヘリが、「津波が来ている」と交信をしているのが、聞こえてきた。

 まずい。

 整備士が駆け戻るのを待って…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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