自宅で44歳の長男を刺殺したとして殺人罪に問われ、1審裁判員裁判で懲役6年の実刑判決を受けた元農林水産事務次官の熊沢英昭被告(76)の保釈が今月20日、東京高裁により認められた。殺人という重大犯罪で実刑判決を受けた被告の保釈は異例だ。被告や容疑者の身柄拘束期間をなるべく短くするという近年の裁判所の傾向に沿った判断とみられるが、今回は自殺の懸念もあった中、関係者や識者の間では賛否両論が渦巻いている。
■地裁は認めず
「今回の保釈はあり得ない。被告の精神が非常に不安定なときに保釈すれば、自殺の恐れも考えられるからだ」
元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は、熊沢被告の保釈を認めた東京高裁の判断を疑問視する。
今月16日の東京地裁判決の2日後の18日、地裁は熊沢被告の保釈請求を却下したが、弁護人の抗告を受けた高裁(青柳勤裁判長)は20日、一転して認めた。
刑事訴訟法は、被告側から保釈請求があった場合、殺人など重大な罪を犯したとして起訴された場合や証拠隠滅の恐れがある場合などを除き、原則として認めなければならないと規定している。これは「権利保釈」と呼ばれるが、1審で実刑判決を受けた場合は、「無罪推定」が弱まるため権利保釈は認められなくなる。
ただ、被告の健康上・社会生活上の不利益の程度を考慮し、裁判官の判断で保釈を認めることができ、熊沢被告の保釈はこの「裁量保釈」のケースだった。
■控訴へ翻意
裁判所関係者は「身分はしっかりしている上、高齢で逃亡することは考えられない。証拠調べも終わっており、証拠隠滅の恐れもない。鬱病だという被告の妻の病状も踏まえ、収容までの身辺整理の必要性などが考慮されたのではないか」と推察する。
一方、元裁判官で法政大法科大学院の水野智幸教授(刑事法)は「自殺は究極の逃亡、証拠隠滅ではないかとの見方がある。自殺の恐れがある場合はこれまで保釈決定は出さなかった」と指摘する。
関係者によると、弁護人は裁判官から自殺の恐れについて問われたが、熊沢被告が「自殺は考えていない」と明言。妻を世話するためだとして保釈を請求し、認められた。
控訴期限は来年1月6日で、保釈が認められた時点で弁護側は控訴の方針を示していなかった。熊沢被告は身辺整理をした後に服役し、罪を償うつもりだったというが、25日に1審判決を不服として控訴した。
弁護人が熊沢被告に「適切な量刑の判決に服することが本当の償いになる」と伝え、相談した結果、控訴することに翻意したという。
若狭弁護士は「被告は判決を受け入れるつもりだったと思うが、妻の今後のことを考えたとき、収容までに時間が足りないと思って控訴することにしたのではないか」とみる。
■家庭内の事件
今年3月には、東京地裁が殺人罪で懲役11年の実刑判決を受けた講談社元編集次長(休職中)の被告の保釈を認めた。この時は熊沢被告のケースとは逆で、東京高裁が許可しなかった。
いずれも家庭内で起こった事件で、他人に危害を加える恐れは低いと考えられるが、元編集次長は起訴内容を否認していたことから「証拠隠滅の恐れが十分ある」(検察幹部)とされ、熊沢被告のケースとは事情が大きく異なっていた。
裁判所関係者は「あくまで被告の心情関係などを丁寧に見た上での保釈で、その判断に違和感はない」と話す。平成21年の裁判員制度導入で、供述調書よりも法廷でのやり取りが重視されるようになり、被告に十分な準備時間を確保する必要がある-などとして保釈を広く認めるようになった裁判所の近年の傾向とは関係ないとの見方だ。
これに対し、水野教授は「服役する前に身辺整理をしたいとして保釈請求するケースは以前からあったが、殺人や強盗といった重大犯罪では原則認められなかった。今回の決定は、近年の身柄拘束緩和の考え方に沿った判断だと思う」と分析している。(大竹直樹)
Source : 国内 – Yahoo!ニュース