母に刺された首の傷、線路に埋めた弟と妹 閉ざしてきた逃避行の記憶

 北九州市に住む福岡勉さん(85)の首の後ろには、指先ほどの傷が残る。

 うなじのやや右寄り、少し盛り上がった肉。今もはっきりとその形がわかる。

 母に刺されたものだ。

 「傷が浅くて助かりました。でも、戦争中のこと。恨む気持ちは全くありません」

 78年間、心の奥底にしまい続けてきた記憶。

 自宅のいすに腰をおろすと、福岡さんはゆっくりと語り始めた。

   ◇

 生まれ故郷は、中国東北部旧満州。ソ連国境に位置する北西端の街・満洲里だ。

 1945年の夏、駅前の倉庫に、近所の住民らが集まっていた。

 父親たちはみな軍務に徴集されて姿はなく、女性と子どもばかり。「57人」と誰かが言った人数が耳底に残っている。

 女性たちは頭を丸刈りにし、顔を黒く塗り始めた。

 それが性被害を恐れてのことだと、当時7歳の福岡さんには分からなかった。

 「線路伝いに大連まで行けば、船で内地に帰れる」。大人たちはそう言い合っていた。

 そこへソ連兵が現れた。

 銃声が鳴り、何人かがその場…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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