こんどぼくのびょう気がなおったら、いっしょにそとであそぼう……。50年前、静岡県の女性は、当時「不治の病」と言われていた白血病で、我が子を相次いで亡くしました。絶望の淵にいた女性や家族をその後半世紀支えたのは、長男の遺品から見つかった優しい詩の言葉でした。
「3月27日に近くのお寺で五十回忌の法事を無事に済ますことができました。コロナ禍で集まれたのはわずかな親族だけ。それでも、ここまで生きて、やっと務めを果たせたとほっとしています」
3人の息子たちの笑顔を収めたアルバムを手に、静岡県松崎町の越後香代子さん(87)が語り出した。
風邪の治りが悪く… そのまま入院
幸せだった越後さんの家族の日々が暗転したのは、1970年の春先だった。小学2年生だった長男・崇志さんの風邪の治りが悪く、香代子さんが付き添った病院で医師に白血病と告げられた。
そのまま入院生活が始まると、投薬の影響で崇志さんの髪は抜け落ち、顔も丸くふくれた。しかし病院に泊まり込んで看病した香代子さんも、仕事帰りに必ず駆けつけた夫の保美(やすよし)さん(84)も、崇志さんが苦痛を訴える様子はほとんど覚えていない、という。
「車が大好きで、好奇心旺盛な子。入院中もわら半紙に漫画の絵を描いて、医師に褒められて喜んでいました」
一度は病状も改善し、通学も再開した。崇志さんは、外見を恥ずかしがったり、学校を嫌がったりしたことは一度もなく、宿題の「ひとこと日記」で先生とやりとりするのを毎日楽しみにしていた。家でも、2人の弟の面倒をよく見ていたという。
1年のうちに相次いで
しかし、72年の初め、少し…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル