菅義偉首相が26日の所信表明演説で、2050年までの温室効果ガス実質排出ゼロをめざすと宣言しました。この目標は、産業革命前に比べて世界の平均気温の上昇を、1・5度までに抑えるために必要とされる削減の道筋です。「1・5度に抑える」とはどういう意味を持ち、そのためには今、何をしなければいけないのでしょうか。(神田明美、水戸部六美、編集委員・石井徹)
気候変動対策の国際枠組み「パリ協定」は、気温上昇を2度未満に抑えることを目指し、可能なら1・5度に抑えるという努力目標を掲げる。
国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が18年に公表した「1・5度特別報告書」が予測する未来はこうだ。
2100年までの海面上昇は、気温上昇が2度の場合よりも1・5度の場合のほうが約10センチ少なくなり、リスクにさらされる人は最大1千万人減る。世界の海洋での年間漁獲量の減少は2度なら300万トンを超えるが、1・5度では半分の約150万トンだ。他にもさまざまな影響の差がある=表。
特別報告書は、1・5度に抑えるには、主要な温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)の世界の排出量を30年に10年比で45%減らし、50年には、森林などの吸収分や技術で回収する分などを差し引いて「実質ゼロ」にする必要があると指摘した。
<産業革命前からの気温上昇1.5度と2度での影響の違い
●洪水のリスク
2005年までの30年間を基準に、洪水による影響を受ける世界の人口は、2度だと170%増、1.5度だと100%増
●サンゴ礁の消失
2度だと99%以上、1.5度は70~90%減少
●永久凍土の融解
2度ではなく1.5度に抑えることにより、150万~250万平方キロの面積で永久凍土の融解を何世紀にもわたり防ぐ
(IPCC特別報告書から)
実質ゼロへの課題は? 石炭火力、住宅、自動車…
「この挑戦は日本の成長戦略そのものです」
「実質ゼロ」を受けて26日に記者会見した梶山弘志経済産業相は、技術革新で実現をめざす姿勢を強調した。洋上風力などの再生エネルギーや原子力、水素、蓄電池などを最大限活用するとともに、火力発電については、CO2を分離・回収し、貯留する技術(CCS)や有効利用する技術を進める考えだ。
日本は電力などエネルギー起源のCO2排出量が、温室効果ガス排出全体の9割近くを占める。CO2排出量が多い石炭火力発電所が、50年時点でCCS抜きで稼働していれば、実質ゼロは困難だ。最新式でも、天然ガス火力の2倍のCO2を排出する。
政府は非効率の石炭火力発電所を閉鎖していく方針だが、新設は認めている。NGOのネットワーク「Japan Beyond Coal(ジャパン・ビヨンド・コール)」によれば、計画あるいは建設中の石炭火力発電所は国内に17基ある。
CCSはコストが障害になる。貯留が可能な候補地は、いまのところ国内に数カ所しかない。
地球環境戦略研究機関の研究顧問、甲斐沼美紀子さんは「CCSは、セメント工場や製鉄所などCO2排出をなくせない施設で使う方法だ。石炭火力はなくし、再生エネへ置き換えなければならない。原発の稼働がなくても再生エネでまかなえる」と話す。
住宅や自動車の対策も欠かせない。
断熱性や省エネ性能を上げ、屋根で太陽光発電をするなどしてエネルギーをつくり、エネルギー消費量を正味ゼロにする住宅は「ゼロエネルギー住宅(ZEH)」と呼ばれる。
政府は「20年までに新築の注文戸建て住宅の半数以上をZEHにする」との目標を掲げる。1戸あたり60万~百数十万円の補助金をつけているが、19年度時点でZEHは新築注文戸建て住宅の約2割にとどまる。中小工務店がZEHの新築に対応しきれていないことや、顧客の予算の問題があるという。30年には建て売りも含めすべての新築住宅の標準をZEHにする目標だが、達成には努力が必要だ。
車の脱炭素化でカギを握るのが電気自動車と燃料電池車だ。英国は35年以降、フランスは40年以降のエンジン車の新車販売禁止を宣言した。米カリフォルニア州も35年以降の新車販売禁止を表明している。
日本は30年までに、電気自動車と燃料電池車を、それぞれ新車販売台数の20~30%と3%にすることをめざす。だが、19年度時点の実績は電気自動車が約0・5%、燃料電池車が0・02%にとどまっている。
国内で電気自動車を購入すると、最大40万円の補助金とエコカー減税などによる支援はある。だが、フランスやドイツは補助額が最大100万円以上。日本の支援度は各国より低い傾向だ。
準備着々の欧州、 施策は多彩、市民も参加
50年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにするには、しっかりとした工程が必要だ。先行する欧州連合(EU)は、着々と準備を進めている。
EUの環境相会合は23日、実質ゼロに法的拘束力を持たせる「欧州気候法案」に合意した。昨年12月に取りまとめた行動計画、「欧州グリーンディール」の中核をなす施策だ。約50の行動計画には、環境規制が緩い海外からの製品に課税する「国境炭素税」「エネルギーの脱炭素化」「循環経済への移行」「既存建築物の省エネ改修」「クリーンな輸送」「持続可能な食料システム」「生態系と生物多様性の保全」「持続可能な投資」など、様々な施策が並ぶ。
EUの取り組みは段階的で、20年に温室効果ガスを20%削減(1990年比)、最終エネルギー消費に占める再生可能エネルギーの割合を20%という目標を掲げ、30年には温室効果ガスを40%削減、再エネ比率32%としている。温室効果ガスについては50~55%削減を検討中だ。
「実質ゼロ」には市民の視点や協力が欠かせない。くじ引きで選ばれた市民が直接、政策形成にかかわる動きも広がっている。
フランスでは昨年10月、電話番号から無作為に選ばれた150人による気候市民会議が始まった。30年までに温室効果ガスを90年比で少なくとも40%削減するための具体的な政策を提案する。
市民会議は専門家の助けも借りながら6月、約150項目にわたる提言書を政府に提出。燃費の悪い車の都市部への進入禁止や新たな空港の建設の禁止、全プラスチックのリサイクルの義務化などが含まれている。マクロン大統領は、146の提言について議会や国民投票にかける考えだ。
英国の気候市民会議には、住所録から無作為に選ばれた市民110人が参加。50年実質ゼロの手段、政策について、6月に首相に中間報告書を提出した。9月には、コロナ禍からの復興を含む最終報告書「ネットゼロへの道筋」が公表された。
高村教授に聞く 「50年実質ゼロ」目標を掲げる意義
これまで日本は「今世紀後半のできるだけ早期」や「50年にできるだけ近い時期」など、脱炭素社会を実現する明確な年限を定めてこなかった。世界的に期限を決めて目標を掲げることが潮流となる中、日本も目標を打ち出すことは、国際的にも評価を得られるだろう。
また50年と期限を定めると、そこに向かうために、「30年にどんな目標を持つべきか」、さらに「いまは何をするべきか」ということが決められるようになる。意義は大きい。
例えば、CCSが付いていない火力発電所の30年の新設はないと見えてくる。30年以降に新築する建物や住宅は、エネルギー消費量が正味ゼロとなる建物や住宅でないといけないとわかる。そうした30年時点の立ち位置と、現状のギャップを埋めていく作業が必要になる。
50年実質ゼロは、温室効果ガスを排出しない構造へ、社会を根本的に変えていかないと実現できない。そのためにイノベーション(技術革新)は必要だ。ただし、それだけでもいけない。すでにある技術なのに、十分に普及しきれていないものを使いこなす対策も重要だ。
理由は二つ。一つは、未来技術でCO2を回収するよりも、太陽光パネルなど今ある技術で早めにCO2削減に取り組んだ方が、温暖化対策にかかる総コストが抑えられるからだ。二つ目はイノベーションへの投資のためだ。企業も、30年先にもうかるかもしれない技術の開発だけで食べてはいけない。電気自動車や燃料電池車など、今あるグリーンな技術を十分に展開でき、もうかる仕組みがいる。
50年実質ゼロの達成には、「イノベーション」だけでなく「いまできる対策」も。この二足のわらじを履かざるを得ない。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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