水俣病訴訟、勝訴50年 患者らが判決の意義を語りあう

今村建二

 水俣病の加害企業チッソの法的責任を初めて認め、断罪した水俣病1次訴訟の判決から、20日で半世紀を迎える。訴訟に携わった患者や支援者が19日、熊本県水俣市で集会を開き、判決の意義を語り合った。

 第1部では、判決が出た1973年3月20日の熊本地裁前の様子から、患者がこれから生きるための補償を求めた、チッソ本社(東京)での交渉の前半までを記録した土本典昭監督の映画「水俣一揆 一生を問う人々」を観賞した。

 映画には、訴訟に中学生で原告として参加した坂本しのぶさん(66)の母フジエさんが登場。しのぶさんの姉で、4歳で亡くなっていた真由美さんの3歳当時の写真を片手に、「真由美の命の値段は決まりました。2番目のしのぶの金額も出ました。しかし、しのぶの古い傷はよくなりません。だから、水俣病患者が生きるために、今からの仕事が残っております」と、早くも次に向けての決意を語る場面が映し出された。

 1次訴訟は提訴時、ほとんどの法律家から「とても患者側に勝ち目はない」と言われていた。熊本大学法文学部助教授(当時)の富樫貞夫さん(89)が中心になって、「水俣病研究会」で議論を重ね、これまでとは違う新しい法理論を構築し、勝訴につなげた。

 第2部では、研究会で富樫さんとともに活動してきた有馬澄雄さん(76)が講演。チッソの技術者たちは、水俣病の公式確認前に水銀汚染に気づく機会が何度もあったと指摘した上で、「法理論では、富樫さんが目の前の悲惨な状況に向き合った。一方、科学者たちは何もしなかった」と専門家の姿勢に疑問を投げかけた。

 また、チッソとの「自主交渉」で闘った佐藤武春さんの息子で、今も未認定患者の救済を求めて福岡高裁で係争中の佐藤英樹さん(68)もあいさつし、「今の裁判官は国の委託のよう。でも水俣病は終わらないという気持ちで闘う」と語った。(今村建二)

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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