江戸時代から続く東京の酒蔵 記者が見た…「水」をめぐる和の風景

 東京・福生市といえば、遠方に住む多くの人は米軍横田基地を思い浮かべるだろう。だが、市内の西側には多摩川と玉川上水が流れ、武蔵野の古い面影を伝える緑豊かな景観と建物が残る。その象徴である二つの酒蔵を中心に周辺を回った。

 JR福生駅から西へ歩いて10分余り。玉川上水に接する田村酒造場の酒蔵が石垣の向こう側に見えた。正面入り口は上水とは反対側。その門構えは、製造工場というよりお屋敷をほうふつとさせる。

 「実際に場内に私たち家族の家があるんです。いつも従業員の目があり気が引き締まりますね」と、現蔵元の田村半十郎さん(65)が冗談めかして笑った。

 酒造場としての始まりは江戸時代末期の1822(文政5)年、代々旧福生村の名主を務めていた田村家9代目の時。江戸の人々に重宝がられていた灘など上方の酒に対抗すべく、幕府が関東の豪商らに酒造りを奨励したのがきっかけだった。

 当時建てられたという土壁の酒造蔵は、大正時代に増築した蔵と連なり、なお現役だ。中に入って目につくのは、皮をむいただけのスギ丸太の梁(はり)や柱。200年の歳月に耐えた建物の頑丈さを物語る。

 創業当時に掘り当て、今も使…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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