対立や分断、混迷といった言葉ばかりで語られるようになってしまった感がある。沖縄をめぐる米軍基地の問題のことだ。しかし、沖縄で生まれ育ち、沖縄から見続けてきた女性ジャーナリストには、違った景色が見えているという。あれから25年。2大地元紙の一つ、沖縄タイムス編集局長の与那嶺一枝さん(55)に聞いた。
- 与那嶺一枝さん略歴
- よなみね・かずえ 1965年沖縄県生まれ。90年沖縄タイムス入社。ホームレスの生き方をみつめた連載で2010年貧困ジャーナリズム大賞。18年7月から編集局長。
1995年9月、沖縄本島で米兵3人に少女が連れ去られ、暴行される事件が起きた。県警は容疑者を特定したが、米軍は日米地位協定に基づき、起訴前の身柄引き渡しを拒否。自民から共産まで超党派の呼びかけで10月21日、宜野湾市であった県民大会とよばれる集会には、8万5千人ともいわれる人たちが集い、日米政府を米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還合意(96年)へと突き動かした。
――25年が経ちました。返還合意が県内移設という条件付きだったため、普天間の返還は進まず、名護市辺野古の基地建設をめぐっても政府と沖縄県の対立が深刻化しています。現状をどう受け止めていますか。
「一言でいうと、申し訳ない思いでいっぱいです」
――いらだちでも、怒りでもなく、申し訳ない、ですか。
「当時のことはよく覚えています。入社6年目の社会部記者で、事件を伝える記事に憤り、吐き気を催すような思いで読みました。沖縄や、日米間でのその後の大きな動きなど、全く予想できない。ただ、許せなかった。県民大会には、参加者の声を聞く取材班として駆り出されましたが、とにかく、人波が途絶えない。年配の人も、若者も、家族連れも。政治について話したこともなかった大学時代の友人も来ていました。みんなが怒っている。私だけじゃないんだと思いました」
「大会があって、普天間返還合意につながったことは、今は混迷を深めてしまっていますが、動き出しただけよかった。それに対して、もう一つの大切な問題は、大会の瞬間は共有されたと感じましたが、結局、その後も置き去りにされてしまった、この25年間放置されてきたように思えます」
――もう一つの問題とは。
基地問題の裏で、置き去りにされたのは
「米軍による女性への性暴力の問題です。95年の事件のとき、二つの地元紙である沖縄タイムスも琉球新報も、捜査の動きを把握しながら、被害者への配慮などから当初は報じなかった。その後、新報は2段の一報記事。タイムスは、地位協定の問題に詳しいデスクの判断もあり、社会面トップにしましたが、それでも、今振り返ってみれば、小さな扱いです」
「抗議が大きなうねりとなったのは、戦中戦後の女性の性被害を告発してきた女性たちが記者会見を開き、声をあげたことが大きかった。翌96年には、米国各地を回り米軍基地被害を訴える女性たちに同行取材をして、私自身、被害の歴史を学ぶことになりました」
「太平洋戦争末期に米軍が沖縄に上陸したときから、女性たちは被害に遭い、収容所でも戦後の住宅地でも、おびただしい数の事件がありました。55年にも幼女が暴行され、殺されるという事件があり、そうしたことが90年代になって、戦後50年が過ぎてもなお続くのか、と」
「性犯罪はそもそも泣き寝入り…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル