法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂で1949年1月26日、火災が起きた。中国・敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)やインドのアジャンター石窟群の壁画と並び、「世界美術の至宝」とたたえられ、仏の世界や菩薩(ぼさつ)が描かれた12面の壁画は焼け、色を失った。
寺は2015年に保存活用委員会(委員長=有賀祥隆・東京芸大客員教授)を設け、壁画の調査研究を進めてきたが、焼損前から日本を代表する専門家らが保存に取り組んできた。一般公開へ向けて18日にまとめられた提言などから、金堂壁画をめぐる明治以降の活動を振り返る。
廃仏毀釈(きしゃく)の嵐が吹き荒れ、日本人の価値観が揺らいだ明治初期を経て、社寺の文化財を保存する必要性が唱えられるようになった。桜井香雲が1880(明治13)年に9号壁、84(明治17)年には12面を模写した。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル