疲労を顧みない練習量で顧問を怒らせた泣き虫の陸上部員が、かつて東京都町田市の市立中学校にいた。
その後、駅伝の名門校を経て箱根駅伝で活躍し、世界に飛び出した。日本記録を2度塗り替え、東京オリンピック(五輪)で6位入賞を果たした。男子マラソンの大迫傑選手(30)だ。その陸上人生の原点とも言える手紙が、今も中学時代の顧問の手に残っている。
2人の出会いは17年前。中学教諭の山口智美さん(49)が東京都町田市立金井中の陸上部顧問として赴任すると、2年に大迫選手がいた。陸上に関してとにかく貪欲(どんよく)。「体のバネが違う」と一目でわかった。
ただ、大迫選手が金井中で練習するのは週一回だけ。別の強豪中学やクラブチームに出向いて練習していた。練習をしすぎると故障のリスクが高まる。山口さんは、走る量を控えた方がいいと思う一方、大迫選手が自分で開拓した練習環境を尊重したい気持ちもあり、迷っていた。
その年の10月末。大迫選手は疲労から腰を痛め、走れなくなった。
「やりすぎだから。絞りなさ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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