熊本豪雨で伯母の倉岡アヤ子さんを失った伸至さん(54)は、時折、言葉を詰まらせながら祭壇に語りかけた。
「92歳。(最期のときは)『長生きだったね。ゆっくり休んでね』と笑顔で見送るはずだったのに……、『苦しかったね。ごめんね』と謝るしかありません」
日本三大急流の一つ、球磨川の流域を中心に熊本県内で67人が犠牲になった記録的な豪雨から3年。
被害の大きかった熊本県人吉市で2日に営まれた追悼式で、遺族代表の伸至さんは当時を振り返った。
3年前の7月4日朝。今までに経験したことがないほどに球磨川があふれ、伸至さんは自宅のほか、すぐ近くで床上浸水の被害に見舞われた妻の実家の対応に追われた。
同じ市内に住むアヤ子さんのことも気にはなったが、社交的で近所づきあいもあるので、だれかと無事に避難していると心配していなかった。
ところが6日になって、市役所から「アヤ子さんと連絡がとれていますか」と問い合わせがあった。
思い出した伯母の口癖「我がことよりも人のため」
「えっ」と思い、すぐに近く…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル