父は娘を笑顔にしたかった。でも、年頃の娘に何をしてあげればいいのかが分からない。朝ぼらけの車中、少し気まずい空気が流れていた。
9年前、岩手県釜石市の浜登寿雄(はまととしお)さん(52)は、当時中学2年だった次女の美海(みう)さん(22)を家から約40キロ離れた山田中学校まで送り迎えしていた。朝5時半に起きて、弁当を作る。初めての家事。それまでずっと、妻の千賀子さんに任せきりだった。
東日本大震災で同県山田町にあった自宅は流された。寿雄さんは母を亡くし、父と妻、三女心海(ここみ)さんが行方不明になった。にぎやかだった家庭に寿雄さんと娘2人が残された。釜石市内に引っ越したが、美海さんは大勢の友達がいる中学を転校したくないと言った。片道約1時間、家と学校を2人で往復する日々が始まった。
ワンボックスカーで三陸海岸沿いを北上する。後部座席に座る美海さんは眠っていることもしばしばだった。大好きな母親と、誰よりもかわいがっていた妹が目の前からいなくなった。傷ついた娘に、子どもたちときちんと向き合ってこなかった自分が何をしてやれるのか。ハンドルを握りながら、寿雄さんは自問自答していた。
救ってくれたのは、カーステレ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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