【山形】津波で亡くなった岩手県陸前高田市の女性が生前に詠んだ短歌が東日本大震災の翌年、一つの音楽作品になった。ジャンルは、僧侶が唱えるお経に旋律をつけた「聲明(しょうみょう)」。それから9年。悲しみとともに生きてきた息子が寄せた「返歌」もまた新たな作品となり、東北の地に響きわたった。
海霧に とけて我が身も ただよはむ 川面をのぼり 大地をつつみ
天台宗と真言宗の僧侶計26人が6日、山形市の山形県総合文化芸術館の大ホールで、佐藤慧(けい)さん(38)の母淳子さん(享年54)が詠んだ短歌から作られた聲明「海霧讃歎(さんだん)」を響かせた。
中盤、僧侶らは同じフレーズを繰り返しながら会場内を歩き回る。さながら、自我がなくなって自然と一体となっていくように。響きの渦のサラウンド。音色を豊かにする「倍音」――。
旋律をつけた作曲家の宮内康乃さん(40)は「響きの力で何となく解放されたり、肩の荷が下りたりする時間になれば」と語る。
慧さんはフォトジャーナリスト。2011年3月11日、震災を知り、アフリカのザンビアから両親の住む陸前高田へ急ぎ帰った。医師だった父は勤務先の病院4階で津波にのまれたが、一命をとりとめた。避難所、遺体安置所へと捜し続ける中、淳子さんは4月9日、広田湾に注ぐ気仙川の上流9キロ地点で遺体で見つかった。手には愛犬の散歩用リードを握りしめていた。
慧さんら子供4人のうち2人を震災前に亡くし、支え合っていたという両親。慧さんは「母との死別は悲しく苦しかったが、それ以上に苦しかったのが、父の悲しみの様子を見ていることだった」と振り返る。
宮内さんは震災から半年ほど後、都内の催しを通じて慧さんの弟と会い、淳子さんの短歌を知った。葬儀の弔辞で参列者が紹介した作品だったという。
人間はいつか自然へかえっていくという内容に宮内さんは感銘を受け、作曲。国立劇場の演出家、田村博巳さんの構成演出で、伝統的な聲明各曲と合わせた四箇法要「花びらは散っても花は散らない」が完成した。12年に神奈川県立音楽堂(横浜市)で初演され、震災5年の16年3月には陸前高田でも披露された。
19年3月、名古屋市であった公演を聴いたのが、宇山友思さん(51)。昨年開館した山形県総合文化芸術館の支配人だ。心を打たれ、同館の開館初年度の事業として公演を企画した。
震災10年の節目。宮内さんが慧さんに新たなテキストを依頼し、曲をつけて「海霧廻向(えこう)」が生まれた。
彼岸に渡り 銀河の砂塵と 散りゆきて なおもあまねく 命のほとり
最後は天台僧と真言僧が海霧廻向と海霧讃歎を掛け合い、海霧廻向で締める。宮内さんは「死者の魂といまを生きる私たちの対話だけど、残るのは私たち。亡くなった人もいるが、いまを生きる人もいて、次の世代にバトンが渡されていく姿を描いた」と話す。
公演後、岩手県釜石市の女性(81)は涙を拭った。「なんて気持ちのこもった歌なのかと。心が癒やされます」。山形県東根市の瀬野茜さん(36)は三陸でボランティアをした震災当時を思い返した。「此岸(しがん)と彼岸でお互いを思っているような響きを感じました」
慧さんもホールで鑑賞した。「どこかで途切れるとか区切りとかじゃなくて、大きなものが循環していくイメージをずっと持っていて、それを感じ取って作り上げてくれた。聴いていて、気持ちよかったです」(上月英興)
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山形県総合文化芸術館(山形市)1階エントランスロビーでは、佐藤慧さんの写真展「ReCollection―東日本大震災から10年―」が開かれている。震災後の岩手県陸前高田市や、2015年に61歳で亡くなった父敏通さんの様子をとらえた。14日まで。無料。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル