消えたお地蔵さん、「どうして」をたどって…… 荒野に残る「悲痛」

 福島県双葉町の海岸沿いに、誰も住まなくなった荒野が広がる。「浜野地区」。約50軒が12年前の津波に襲われた。生存した人たちも、原発事故の避難指示で立ち退きを命じられた。

ニュースレター 「アナザーノート」

アナザーノートは、紙面やデジタルでは公開していないオリジナル記事をメールで先行配信する新たなスタイルのニュースレターです。レター未登録の方は文末のリンクから無料登録できます。

 地区の立ち入りが緩和されたのは、震災の記録を残す「東日本大震災原子力災害伝承館」ができた2020年からだった。

 伝承館オープンの内覧会に出向いた私は、その屋上から浜野地区に残る少ない民家を見つけた。2階部分は原形を保つが、1階の壁やドアの損傷は激しかった。

 近くまで行く。庭には小さな地蔵が2体置かれ、花が手向けられていた。津波で犠牲になった家族を弔ったものだとすぐに察した。

 ひとけのない地域に立つ地蔵にどこか哀愁を感じ、その後、取材で通るたび手を合わせた。

 だが、1年ほど前、地蔵は消えていた。どこへ行ったのか。てんまつを知る人たちを訪ねた。

噴き出した津波

 12年前、双葉町には約7千人が暮らしていた。町の8割はいまも「帰還困難区域」として避難指示が続く。同区域には解体されず、朽ちた家屋が多い。

 ただ、浜野地区の民家を見ると、「あえて残している」という印象だった。というのも、この地区は放射線量が比較的低く、20年3月に避難指示が先行解除された。解体を申し出れば、国が無償で解体する地域だった。

 「樫村」さん。3年前に訪れたとき、門柱にあった表札だ。

 浜野地区の区長で、いまは約60キロ西の須賀川市で暮らす高倉伊助さん(66)に樫村家のことを知らないか尋ねた。

 高倉さんは植木屋を営み、1…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment