1985年8月12日、日航ジャンボ機が墜落し、520人もの人々が犠牲となった事故から12日で35年が経った。墜落現場となった群馬県の御巣鷹の尾根には、2020年も慰霊登山をする人が集った。東日本大震災で子どもを亡くした宮城県内の被災者の中にも、何度もここを訪ねるようになった人がいる。人々を引きつけるものは一体何なのか。 【画像】遺族が笑いながら集える場所を
東日本大震災後、尾根の慰霊登山に参加
8月12日。群馬・上野村にある御巣鷹の尾根への入り口に、閖上中学校遺族会の丹野祐子さんの姿があった。 震災の津波で、当時中学1年生だった長男の公太さんを亡くした。
震災後、日航機事故の遺族会の人たちと交流を深め、慰霊登山にも参加するようになった。 登山道は、2019年の東日本台風で斜面が崩れ、橋も壊れた。
しかし、地元の人やボランティアなどが復旧にあたり、道路を整備した。 斜面のいたるところに、墓標がある。犠牲者が見つかった場所。
丹野さんたちは知り合いになった事故遺族の墓標を訪ねた。 閖上を襲った津波で長男を亡くした・丹野祐子さん:
台風だったね。大変だったね。健ちゃん 事故遺族会の事務局長、美谷島邦子さんの次男で、当時、9歳だった健ちゃんの墓標。
丹野さん達は美谷島さんを閖上に招くなど、交流を深めてきた。 閖上を襲った津波で長男を亡くした・丹野祐子さん:
高い空から見ててね 墓標の1つに、丹野さんは3つの人形を供えた。
4年前、ここで3人の娘を亡くした80代の男性と、知り合ったと言う。2020年は、その男性に代わって手を合わせる。 閖上を襲った津波で長男を亡くした・丹野祐子さん:
ここでお会いできると思ってたんだけど、残念ながら「今年はもう登れない」と教えて頂いたので、じゃあ代りにと。(その遺族は)もう90歳。35年という時間なんですよね。でも我が子を思う気持ちがずっと34年間、この山に来て、ここで手を合わせて、日が暮れるまで、ここにいたという話を伺って「自分もそうありたい」と思ったので、きょうは来られてよかったです
Source : 国内 – Yahoo!ニュース