深夜のサイレン、よぎった大震災の記憶 「とにかく逃げる」避難所へ

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星乃勇介、原篤司

 南太平洋のトンガ諸島での大規模噴火の影響で、宮城県内にも沿岸部で津波注意報が発令され、各地で避難指示が出された。11年前の東日本大震災の経験などから、避難者たちは不安な夜を過ごした。

 気仙沼市の高台にある市民会館には16日午前0時半ごろから避難者が続々と車で駆けつけ、車両は一時30台ほどに。避難者は車内や館内で暖を取りながらラジオやテレビの情報に耳を傾けていた。

 市民会館は2011年の東日本大震災でも避難所になった場所だ。今回も避難所として開放され、午前2時半ごろにはホールで10人程度が配られた毛布をかぶって、休んでいた。

 トランプをして時間をつぶしていた同市幸町2丁目のホテル従業員、佐藤謙太さん(35)は、一家5人で避難してきた。11年前の大震災では、津波で市内の実家が全壊した。「あの時の記憶があるので、サイレンを聞いてすぐ非常持ち出し袋を持って逃げた」

 佐藤さんの母香さん(58)も「近所はまだ家にいる人が多かったが、11年前はそれでたくさんの知人が死んだ。状況が分からないときは、とにかく逃げるに限る」と話し、毛布をかぶって横になった。

 一方、石巻市では約2万5800世帯5万3600人に避難指示が出た。市中心部に近い高台にある市総合体育館の避難所には、16日午前3時半には2人が避難していた。体育館正面の駐車場にも、避難に来たと思われるエンジンをかけたままの車が約10台あった。

「火山というパターンは初めてで…」

 武道場の畳の上で寝転んでい…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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