1971年に起きた渋谷暴動事件で警察官を殺害したとして、殺人罪などに問われた過激派「中核派」の構成員・大坂正明被告(73)の公判が25日、東京地裁で始まった。46年間の逃亡生活を経て逮捕された大坂被告は「無実であり無罪です」と起訴内容を全面的に否定した。
大坂被告は初公判の冒頭、準備した紙を読み上げ、「証拠とされた当時の参加者の供述調書は、取り調べを行った官憲による創作文でしかない」と述べた。公判中は落ち着いた様子で被告人席に座り、裁判資料に目を通していた。
起訴状などによると、大坂被告は71年11月14日午後、東京都渋谷区であった沖縄返還協定の批准に反対するデモに参加し、他の学生らと共謀して、警視庁渋谷署神山派出所付近で警察官3人に火炎瓶を投げてやけどを負わせたとされる。さらに、新潟県警から派遣されていた中村恒雄巡査(当時21)を鉄パイプで殴り、火炎瓶を投げつけて殺害したとされる。
デモ集団のどこにいたのか
検察側は冒頭陳述で、大坂被告は「神山派出所付近でデモ集団の先頭にいた」と説明。中村巡査を殴った後、デモ隊のリーダーとともに「殺せ、殺せ」と叫んでいた、とも述べた。さらに翌15日の集会では「機動隊1人をせんめつした」と演説したと指摘した。
一方、弁護側は冒頭陳述で全面的に反論した。
弁護側は、大坂被告は、途中で遭遇した警察車両を追いかけてデモ隊から遅れたと主張。再びデモ隊に戻るために急いだものの、神山派出所付近を通った時には、検察側が主張する警察官への暴行は既に終わっており、暴行や殺害には「一切関与していない」と訴えた。
翌日の集会で「せんめつした」などと演説した事実もないと反論した。
群馬の学生4人「現場で見た」 信用性が最大の焦点
大坂被告の関与を示す客観証拠が乏しい中、検察側は「被告が殺害現場にいるのを見た」という、デモに参加した他の学生4人の目撃証言を立証の柱にする。公判では、この証言の信用性が最大の争点となる。
4人は群馬県の学生で、渋谷…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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