港区エレベーター事故から16年 なくならぬ戸開走行に遺族「焦り」

寺田実穂子

 東京都港区の公共住宅でエレベーターの戸が開いたまま急上昇し、高校2年の市川大輔(ひろすけ)さん(当時16)が死亡した事故から、3日で16年を迎えた。建物内に設けられた献花室に大輔さんのゆかりの人たちが訪れ、花を手向けた。

 事故は、2006年6月3日午後7時20分ごろ起きた。大輔さんが12階でエレベーターを降りようとしたところ、戸が開いたままかごが上昇し、出入り口の上枠とかごの床の間に挟まれた。病院に搬送されたが、まもなく死亡が確認された。かごを制止させるブレーキが十分に作動していなかった。

 こうした「戸開走行」を防ぐため、エレベーターのブレーキを二重にする対策が09年に義務づけられたが、それ以前の建物は対象外となり、事故はその後も起きている。国土交通省が今年5月に公表した報告書では、神戸市の病院で18年に、大阪府豊中市の病院で20年にそれぞれ戸開走行が起きていたことが新たにわかった。

 母の正子さん(70)は事故以来、再発防止のために活動を続けてきた。それでも事故が繰り返されていることについて、「息子の命をきちんといかせていないのではという焦りがあります」と取材に語った。「息子の命が無駄にならないようにと訴え続けて、息子と同じ16年という時間が経った。まだまだやるべきことを達成できていないという中で、歩き続けることが大事だとあらためて思っています」と話した。(寺田実穂子)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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