徳島県南部、牟岐(むぎ)町沖に浮かぶ出羽島(てばじま)に暮らす野口真治さん(34)は、朝起きると家の裏に出て、堤防ごしに暗い海を眺める。
「今日は凪(なぎ)かな」。冬場の出漁は午前4時ごろ。親方と2人で近海の漁場へ向かう。かじかむ手で、はえ縄を海に入れた。引き揚げたレンコダイを朝日がキラキラと照らす。高級魚のアマダイが交じっていた時は、心が弾む。
ずっと漁師になりたかった。海に出られるのがうれしい。魚がとれると、もっとうれしい。
◇
出羽島は周囲約4キロ。牟岐町の港の沖合約3キロにあり、連絡船で15分ほどかかる。人口約70人の島内に自動車は1台もなく、手押し車で荷物を運ぶ。
江戸時代の終わりごろから、漁業の島として知られ、カツオ漁を中心としてきた。1934(昭和9)年には約800人が住んでいたという。
今も、入り江を囲み、昭和初期のたたずまいを残した街並みが広がる。真治さんと妻の美保さん(48)が暮らすのは、そんな一角。「タマネギが甘くて、すごくおいしい。島の土と気候かな」と美保さん。
家の前で、タマネギや枝豆、キュウリ、トマトなど季節の野菜を育てている。港近くで民泊「うたタネ」を営む。築100年超の民家を譲り受け、昨年9月にオープンした。新型コロナウイルスの影響で思ったように客を迎えられないが、2人は笑いが絶えない。
「田舎暮らし、漁師、畑、民泊。やりたいと思ってたことができちゃった」
夫婦ともに東京出身で、住まいのあった神奈川から、休みのたびに移住先を探す旅行をしていた。2016年秋、初めて訪れた徳島に心を奪われた。海、山、どちらも身近だ。釣り船屋で働きながら、いつか独立したいと考えていた真治さんは、漁師を養成する「とくしま漁業アカデミー」が翌年春に始まることを知り、移住を決めた。
真治さんは半年間、底引きや養殖など漁業を体験。出羽島でも5日間過ごし、はえ縄漁業を教わった。島は静かで、のんびりした時間が流れていた。
「この島で漁師をやりたい、この島で暮らしたい」。アカデミーの現場研修が始まった17年秋、2人で島に移り住んだ。
美保さんは島の女性たちに、畑のうねの作り方や種のまき方を、手取り足取り教えてもらった。山すそに段々畑を開き、好きなミカンの木を植えた。春先から初夏は、島特産のテングサ採り。海岸に打ち上げられたテングサを干して洗って、白くなるまで繰り返す。自然を肌身で感じながら3年が過ぎた。「島の人たちのおかげで、今の暮らしがある」
真治さんも、マグロ船やはえ縄漁で60年ほどの経験がある親方のもとで漁師の経験を積む。牟岐町漁協組合長で出羽島部落会会長の田中幸寿さん(77)は「若い人が来てくれると、活気がある」と喜ぶ。
◇
2人は今後、民泊体験を充実させたいと考えている。とれたての野菜を使ったバーベキューや、テングサでところてん作り。魚の干物作りも。島の資源を五感でたっぷり味わえる体験は、売りになる。
漁師の熟練の技術も「島の資源」だと感じる。島で19年に開かれたアートの催しでは、漁網を浮かせるために使うガラスの浮き玉「ビン玉」に、網を編んで掛けるワークショップが好評だった。講師役の漁師たちも生き生きとしていた。
島伝統の漁を続けていきたい。そして、魅力いっぱいの島を、それだけで終わらせるのはもったいない。「まだ、何かできそう。島の人の収入になることを、島全体でやっていきたい」
真治さんと美保さんは、今日も忙しい。(斉藤智子)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Leave a Comment