100年以上前に民家の壁に設置されたとみられる木製の町名表示板が、東京都内で見つかった。関東大震災や空襲をくぐり抜けた末に忘れられていたが、奇跡的に再び見いだされたのは、「ひげの男性」のおかげだった。
見つかったのは文京区。根津神社の近くの路地にたたずむ民家の、雨戸の戸袋に取り付けられていた。
雨風や日光に長年さらされ、町名を読み取るのは少し難しくなっていたが、黒い字でこう書かれていた。
「根津須賀町四番地」
その上には「本郷區」と記されていた。
根津須賀町は1869(明治2)年にできた町名で、1965(昭和40)年に根津1丁目に編入され、今は存在しない。また、本郷区は1878(明治11)年にできた区で、1947(昭和22)年に小石川区と合併して文京区になった。
つまり、今回の町名表示板が設置されたのは、本郷区が存在した1878年から1947年までの間だ。
現地を訪れて確認したのは、京都市内を拠点に活動する市民団体「京都仁丹樂會(がっかい)」(立花滋代表)のメンバーたち。
京都の人たちが、なぜ東京で?
9万枚のなかの「奇跡の1枚」
その理由は団体名の仁丹にある。
順を追って説明しよう…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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