「濃厚接触」「オーバーシュート」「ロックダウン」……。耳慣れない言葉が、新型コロナウイルス危機に飛び交っている。新しく登場したカタカナ語は翻訳すべきか。それともカタカナ語のままで理解すべきか。ウィトゲンシュタインの哲学を手がかりに、言語や行為の問題を探究している哲学者・倫理学者で東京大学准教授の古田徹也さんに寄稿してもらった。
ふるた・てつや 1979年生まれ。言葉や行為などの主題について、主にウィトゲンシュタインの哲学を手がかりに探究している。昨年、『言葉の魂の哲学』でサントリー学芸賞。
「濃厚接触」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。たとえば「屋形船で濃厚接触」と聞いて。
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ふざけているわけではない。この言葉が容易にセクシャルな交わりや、キスやハグといったスキンシップを連想させることを確認したいだけだ。
他方で、いまの新型コロナウイルスの流行にまつわる文脈では、実際に体が触れ合うことだけでなく、近距離で一定時間会話を交わすことすら、「濃厚接触」と言われている。この文脈における「濃厚接触」は、英語ではclose contactにあたる疫学上の専門用語であり、日常的な用法とはかけ離れたものだ。
そしてこの乖離(かいり)は、実際に害悪をもたらしてきた。「濃厚接触」という言葉と、食卓を囲んだりおしゃべりをしたりといった営みは結びつかない。それゆえ、全く危険と思わずにそうした営みを続けた人々が、少なくとも当初は多くいたことだろう。
では、「濃厚接触」ではなく「…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル