ウクライナ人のチェボタレフ・ルスランさん(38)は4月10日から、妻のリディアさん(35)と愛知県安城市で暮らしている。
それまでは首都キーウ(キエフ)でロシア軍の空爆におびえる日々だった。
侵攻から1カ月たった3月24日、ルスランさんはメッセージを送った。
「日本に避難したい。住居と仕事を見つけるのを手伝ってもらえませんか」
頼ったのは、かつての日本語の先生だ。
SOSを受け取った葛西孝久さん(71)と妻の不二恵さん(70)はその4日前、12年間過ごしたキーウから、故郷の愛知県に戻ってきたばかりだった。
教員を早期退職した孝久さんたちは、日本語講師としてキーウで第二の人生を歩んでいた。ルスランさんは当時の教え子だった。
すぐに住居や家財道具の手配を始めた。
ルスランさんは糖尿病を患いながら避難生活を送っていた。キーウでは地下シェルターの冷たい床で眠り、食事をする生活が続いていた。
爆撃のないところへ逃げたい。そう願ってやってきた日本。もう空襲警報は聞こえてこない。
2人の顔に穏やかさが戻ってきた。それを見た葛西さんの次男、喬介さん(38)は、ある「贈り物」をすることにした。
「喜んでくれるかな。でも……」。贈る側にも迷いがあった。案の定、2人は複雑な表情を浮かべた。
母国の惨状を思い出し、当初は困惑する2人
困惑させたその贈り物とは打…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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