毎朝、水足浩雄(みずたりひろお)さん(98)は東京都杉並区の自宅から南の空に向かって手を合わせる。
思い浮かべるのは、75年前の部下、竹内清作軍曹のことだ。
水足さんは6人きょうだいの末っ子。幼少期、佐賀で育った。軍人にあこがれて陸軍士官学校へ。国民的英雄とされた「肉弾三勇士」と同じ工兵を希望、仙台に本拠を置く第2師団工兵第2連隊に配属された。
1944年8月、中尉となり中国雲南省龍陵に派遣された。中国国民党へのビルマ(現ミャンマー)からの物資援助ルートを遮断するための作戦が行われていた。陣頭指揮をとっていた中隊長が地雷に触れて死亡、その後を任された。
戦場は全く知らない。22歳で、200人超を率いる中隊長になった。
前任はたたき上げの大尉で部下に慕われる有能な指揮官だった。水足さんは着任早々全員を集め、亡くなった大尉を荼毘(だび)に付し遺骨を白布に包んで首からさげた。「水足を中隊長と思わず、この故大尉について来い」と命じ、前線に立った。
『経験のない若い中尉になんかだれもついてこないから、それしかなかった。ずいぶんなはったりをかけたものだといまは思う』
工兵は歩兵の前に出て道を切り開くなどするため危険度が高い。この作戦では中隊の41人が死亡した。
中隊はその後ビルマ中部に移動…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル