男性は、水の中に身を沈めていた。大事なカメラをぬらさないよう、頭の上にのせて。目の前では、ふるさとの街が火に包まれていた。撮らなければいけない――。そう思った。
1945年8月2日未明、富山に飛来したB29が計1万2740発の焼夷(しょうい)弾を投下。街は焦土と化し、死者約3千人を数えた。
その富山大空襲を捉えた写真がある。がれきに覆われた一帯。奥に大和百貨店がたたずむ。多くの人に、空襲の惨状を伝えてきた1枚だ。
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「ちんと(じっと)してる人でなかった。好きなことして、だらはん(お馬鹿さん)って言われてたよ」。富山市のアマチュアカメラマン谷田忠雄さんの長女、美智子さん(81)はそう言って笑う。
拡大する谷田忠雄さんが愛用し続けたコンタックスのカメラ=2020年7月13日、富山市丸の内1丁目、竹田和博撮影
紙の裁断業を営む傍ら、「やじ…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル