父を亡くした日に泣かなかった理由 大地真央が貫く矜持

 「ローマの休日」や「マイ・フェア・レディ」……。舞台や映画、テレビで活躍する大地真央さんは、ヒマワリのような華やかな笑顔が魅力だ。その顔をほころばせて思い出を語るのは、父のこと。70歳で亡くなる直前に言い残し、ずっと大女優を支え続けてくれている父の言葉がある。

 大地さんは兵庫県の淡路島生まれで、3人姉妹の末っ子。父が42歳の時に授かった。父は陸軍の軍人で、戦後は小学校教師やガソリンスタンドの経営をしていた。

 大正3(1914)年、寅(とら)年の生まれ。「でも私には猫みたいな優しい人だった。叱られた記憶はありませんね。芸能界に行きたいというのも許してくれたんです。当時、父が友人から宝塚音楽学校は軍隊のように厳しいけれど安心して預けられる学校だということを聞いて、宝塚なら受験してみるかって」

 宝塚音楽学校を経て宝塚歌劇団に入団。73年に初舞台を踏んだ。その後、月組トップスターになり、トップ娘役の黒木瞳さんと共演、大人気に。大阪に出張があると、公演を見に来ていたという父。大地さんが「前の席で見て」と言っても、「ファンの人より前では見られない」と後ろの方で見ていたという。

宝塚退団、わかってくれた

 大地さんがトップスターとして活躍していた28歳のとき。ガンになった父は70歳の誕生日に一時退院し、実家に戻っていた。その家に帰り、「宝塚をそろそろやめようと思う」と切り出した。30歳を前に宝塚を退き、新天地でゼロからスタートを切るにはいい潮時だと思っていたからだ。

 父は「自分で決めたんだったら…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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